正統カリフたちの時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 13:52 UTC 版)
「アリー・イブン・アビー・ターリブ」の記事における「正統カリフたちの時代」の解説
アラビア半島のアラブ人の統一を達成したアブー・バクルは634年に病死し、ムハンマドの妻の1人ハフサの父ウマルが後継者に指名された。ウマルは中央集権的なイスラム帝国を築き上げ、642年のニハーヴァンドの戦いでサーサーン朝を滅亡寸前に追い込んだが、644年に奴隷に刺されて重傷を負い、死の床に有力者を集めて後継者を選ばせ、絶命した。このときの後継候補にはアリーも含まれていたが、後継カリフに選出されたのは、ムハンマドの2人の娘ルカイヤとウンム・クルスームを妻としていたウスマーンであった。ウスマーンは、650年頃にクルアーン(コーラン)の正典(ウスマーン版)を選ばせ、651年にサーサーン朝を完全に滅亡させるといった功績を挙げた。アブー・バクル、ウマル、ウスマーンと、その次にカリフとなったアリーの4代を、正統カリフという。
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