ブルゴーニュ公位継承前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/18 14:32 UTC 版)
「ジャン1世 (ブルゴーニュ公)」の記事における「ブルゴーニュ公位継承前」の解説
ブルゴーニュ公爵夫妻の第1子、長男として生まれた。次弟アントワーヌはブラバント公、末弟フィリップはヌヴェール伯およびルテル伯である。妹マルグリットは下バイエルン=シュトラウビング公・エノー伯・ホラント伯・ゼーラント伯ヴィルヘルム2世と結婚(後述)、2人の妹カトリーヌはオーストリア公レオポルト4世に、マリーはサヴォイア伯アメデオ8世(対立教皇フェリクス5世)にそれぞれ嫁いだ。 1385年に下バイエルン=シュトラウビング公・エノー伯・ホラント伯・ゼーラント伯アルブレヒト1世の娘マルグリット・ド・バヴィエールと結婚した(カンブレー二重結婚)。同時にマルグリットの弟ヴィルヘルムと無怖公の妹マルグリットも結婚、二重結婚を通してヴァロワ=ブルゴーニュ家は北方に進出する足掛かりを得た。1396年にハンガリー王ジギスムント(後の神聖ローマ皇帝)による対オスマン帝国の十字軍に参加し、ニコポリスの戦いの大敗により捕虜となったが、その勇猛さ(あるいは軽率な向こう見ずさ)から「無怖」とあだ名されるようになった。父が20万フローリンに上る莫大な身代金を払ったため釈放、帰国後は父の意向で長女マルグリットと長男フィリップ(後のフィリップ3世、善良公)をフランス王太子ルイと姉ミシェルと婚約させ、更なる二重結婚でフランス王家とも縁組を結んだが、無怖公本人はヌヴェールで統治のため在住しており宮廷とはあまり縁が無かった。
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