ブルゴーニュ公と結婚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/04 03:53 UTC 版)
「イザベル・ド・ポルテュガル」の記事における「ブルゴーニュ公と結婚」の解説
1428年当時、ブルゴーニュ公フィリップ善良公は2度の結婚を経験していた。最初の妻ミシェル・ド・フランス(シャルル6世とイザボー・ド・バヴィエールの娘)は、遺伝性の精神病を患っていた。2度目の妻ボンヌ・ダルトワはかつて父方の叔父ヌヴェール伯フィリップ2世の妻であった。どちらとも死別し嫡子が得られず、3度目はイングランドから迎えたいと善良公は考えた(ミシェルとボンヌはフランス王族だったが、3度目の妻を得ることでイングランドとの同盟関係を強固にしたい思惑があった)。 善良公が注目したのは、ポルトガル王女イザベルだった。当時の結婚適齢期を過ぎた31歳ではあったが、非常に知性的でかつ健康で多産系の家柄であることが目を引いたのである。ポルトガルは、イングランドと同盟する以外にもフランドル商人と同盟することになると、この縁談を喜んだ。なお、善良公の生家であるヴァロワ=ブルゴーニュ家は断絶したカペー家系ブルゴーニュ家の名跡を継いだ家系であるが、ポルトガル王家はカペー家系ブルゴーニュ家の分家であった。 1429年に結婚し、イザベルはブルゴーニュへ旅立った。船旅と徒歩の旅をして翌1430年1月に船がスロイスに到着、ブルッヘで善良公と結婚式を挙げた(同時に金羊毛騎士団が設立)。ディジョンに入ると、夫は彼女を連れて領内のヘント、リール、ブリュッセル、アラス、ペロンヌら諸都市を巡った。道中に妊娠がわかり、宮廷にようやく腰を落ち着けてみると、夫は中世の常のごとく多くの愛妾を抱え、間に生まれた庶子たちを養っているのだった。ちなみに、妊娠中の6月にノワイヨンで監禁中のジャンヌ・ダルクに夫と共に面会している。
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