ブルゴーニュ公ロベール1世との結婚
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「エリー・ド・スミュール=アン=ブリオネ」の記事における「ブルゴーニュ公ロベール1世との結婚」の解説
父スミュール=アン=ブリオネ領主ダルマス1世(ダルマスあるいはダマス)、その妻で母ブルゴーニュ公アンリ1世公女にして、フランス王ユーグ・カペーの姪に当たるアランブルジュ・ド・ヴェルジーの長女。 1033年に母方の又従兄に当たるロベール1世と結婚した。ロベールはエリーとの結婚でスミュール=アン=ブリオネ領主であり、オータンとシャロレーの裕福な一族であるスミュール家と同盟を結んだ。 またエリーはクリュニー修道院長であるクリュニーのユーグ (1024年 - 1109年)の実姉であり、オセール司教であるシャロン伯ユーグ1世の姪孫に当たる。 ロベールはクリュニーのユーグの義兄となり、教会・聖職者との繋がりができた。 夫ロベール1世は暴力的かつ気性の激しい性格であり、エリーの実父ダルマス1世は何かの理由によりロベール1世の怒りを買い、招かれた晩餐会で殺害され(毒殺説と帰りを待ち伏せて殺害された説の2説存在する)、また父の殺害にエリーの4番目の弟ジョスランも巻き込まれ、ロベールに殺害されている。 ダルマス1世の死後、ロベール1世はエリーとの親族関係による婚姻の無効を教会に訴え、離婚が成立した。 離婚後、エリーは尼僧となり名をペトロニーユと改め、マルシニー修道院もしくはボーヌの修道院に隠棲したとされ、1056年4月22日に死去したとされる。
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