ムラト1世、バヤズィト1世の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 14:13 UTC 版)
「オスマン・東ローマ戦争」の記事における「ムラト1世、バヤズィト1世の時代」の解説
オルハンの跡を継いだムラト1世は、1362年にエディルネ(アドリアノープル)を征服してここを首都にした。さらにムラト1世はブルガリアやセルビアの諸侯を降伏させてオスマン軍に組み入れていった。その強大化した軍勢によって、1391年に東ローマ帝国の都市テッサロニキを獲得した。 以後東ローマ帝国はオスマン家の家臣のように扱われ、ムラト1世の跡を継いだバヤズィト1世は臣従させた東ローマ、ブルガリア、セルビアの諸軍を引き連れてアナトリアのサルハン、アイドゥン、メンテシェの諸侯国を征服した。1395年にはコンスタンティノープルの包囲を行っている。1396年には西欧からやってきた十字軍をニコポリスの戦いで打ち破った。 バヤズィトは東ローマに止めを刺すべくコンスタンティノープルを攻撃し続けたが、1402年に東からやってきたティムールにアンカラの戦いで敗れ、オスマン帝国は一時解体を余儀なくされた。
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