ダルマチア
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ダルマチア(ダルマツィア、クロアチア語: Dalmacija、イタリア語: Dalmazia、セルビア語: Далмација)またはダルマティアは、クロアチア(中央クロアチア、ダルマチア地方、スラヴォニア地方、イストリア地方の4地方から成る)のアドリア海沿岸地域一帯の名称である。長くヴェネツィアの支配下にあったことから、内陸部の諸地域とは異なる独自の歴史的・文化的背景を有する[1]。観光業が盛んで、スプリトを中心都市とする。
- ^ 柴宜弘・石田信一編著『クロアチアを知るための60章』(明石書店、2013年)p. 22
- ^ C.Michael Hogan, "Diocletian's Palace", The Megalithic Portal, Andy Burnham ed. , Oct 6, 2007
- 1 ダルマチアとは
- 2 ダルマチアの概要
- 3 地方行政区画
ダルマチア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/08 06:04 UTC 版)
「A1号線 (高速道路)」の記事における「ダルマチア」の解説
1990年代初め、クロアチア紛争が勃発し、高速道路の建設はさらに延期されることとなった。この10年間で高速道路の建設に関する議論が新たにされ、2つの新しい路線が検討された。1つはビハチを迂回し、プリトヴィツェ湖群地域を通る元の計画を修正したものであり、もう1つは、西はゴスピッチとザダルを経由するものである。最終的に後者に決定した。どちらの計画も、1972年に既に完成しているザグレブ・カルロヴァツ間を、ザグレブ-スプリトおよびザグレブ-リエカ高速道路として使用することを提案した。 A1はクロアチア政府の代表的なプロジェクトであり、国を統一する象徴であった。プロジェクトを本格的に復活させる最初の試みが現れたのは1993年のことだった。スベティ・ロックトンネルの施工が始まった。2000年には総合的に建設工事が始まり、2001年にカルロヴァツ・ヴコヴァゴリツァ間が開通した。2003年、ザグレブ-リエカ高速道路と重複しない最初の区間が開通。2005年の6月26日にスプリトまで開通した。 2007年6月27日にスプリト(ドゥゴポリェIC)とŠestanovacICの間が開通した。現在はプロチェ付近まで開通している。2000年代、高速道路の建設工事が徐々に南へと進むにつれて、非公式に「ダルマチア」と呼ばれるようになった。ザグレブからダルマチア地方を結ぶことに由来しており、クロアチアの新聞がこの名前を使用した。
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「ダルマチア」の例文・使い方・用例・文例
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