イングランド軍の上陸と内紛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/07 09:18 UTC 版)
「ポンヴァランの戦い」の記事における「イングランド軍の上陸と内紛」の解説
1370年8月、ロバート・ノールズ(英語版)率いるイングランド軍の騎兵6,000がカレーに上陸し、フランス北部で騎行(Chevauchée、騎兵で敵地深く侵入して略奪や破壊などを行うイングランド軍の戦術)を行った。9月24日にはパリに接近しフランス軍を会戦に引きずり出そうとしたがフランス軍は誘いにはのらず、10月までに更に南進してヴァンドームに進軍した。ノールズはロワール川とその支流に挟まれた一帯の城や修道院を占領して駐留部隊を配置しつつポワトゥーかもしくは南ノルマンディー方面へ進撃できる態勢を整えて待機した。これは、イングランド王エドワード3世とナバラ王カルロス2世の間で、ナバラ王の領地である北ノルマンディーをイングランド軍の拠点として提供するという協定が締結されるのを待っていたためだったが、副官たちはノールスのこの態度が積極性に欠けると非難した。彼らは、ノールズを「老いぼれの海賊」とあざける野心家のジョン・ミンスターワースという騎士を首領に祭り上げた。
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