イングランド軍の陣容
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 00:15 UTC 版)
「ポワティエの戦い」の記事における「イングランド軍の陣容」の解説
イングランド軍のエドワード黒太子は16歳の時経験したクレシーの戦い同様の作戦計画を立案し、自然の障害に囲まれた平野に陣取った。陣地の左側面は小さなクリークに、背後を森に囲まれており、唯一弱い右側面、ポワティエからボルドーへと続くローマ時代からある古道には、略奪物が載せてある荷車を置いてバリケード代わりとした。そして、騎兵もみな馬を降り、歩兵として2部隊に分けられ、その両翼にV字にロングボウを持った長弓部隊を配置した。 この際、ビュック領主(英語版)のジャン3世・ド・グライー(英語版)率いる200騎ほどの騎兵部隊が、後方の森に隠されていた。
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