第3代の家督を巡る御家騒動
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「佐伯藩」の記事における「第3代の家督を巡る御家騒動」の解説
高政の没後、跡を継いだ高成は寛永9年(1632年)11月7日に急死し、嫡子には3歳の高直しかいなかった。しかし高政の実弟で2000石の領主であった吉安が高成の異母兄高明を擁して異議を唱えたために御家騒動となり、窮した家老が幕府に嘆願して認められ、第3代の家督は高直が継いだ。吉安はこの裁定に不満を持ち、幕府に対して2,000石の所領を返上して幕府直属の旗本となったため、佐伯藩は2,000石を失うことになったが、幕府に御家騒動の印象を与えたくないため従前通りの2万石で押し通した。また吉直の所領である堅田は平野の少ない佐伯では肥沃な地で水の便にも恵まれていたため、以後の佐伯藩は財政難にも悩まされることになる。
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