御家騒動とは? わかりやすく解説

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おいえ‐そうどう〔おいへサウドウ〕【御家騒動】

読み方:おいえそうどう

江戸時代大名などの家中で、家督相続権力争いなどから起こった紛争加賀伊達(だて)・黒田鍋島(なべしま)藩などのものが有名。

会社団体など内輪もめ内紛


御家騒動

読み方:オイエソウドウ(oiesoudou)

近世大名家家督相続争い家臣権力抗争が絡合い、藩全体動揺紛糾した事件

別名 家中騒動


お家騒動

(御家騒動 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/30 06:00 UTC 版)

お家騒動御家騒動、おいえそうどう)は、江戸時代大名家における内紛である。現代においては、比喩的に企業同族経営の会社に多い)や家族といった組織における内部抗争をお家騒動に擬えて呼ぶことがある。

概要

江戸時代の大名家では、藩主やその一族、家老などの一団の領袖となりうる立場の人間が派閥を作りあげて内紛を繰り広げた例が数多くあった。そのような事象が脚色されて、歌舞伎狂言御家物と呼ばれる様式の題材となって伝わったり、講談を通じて広まったことにより、お家騒動として江戸の庶民に知られるようになる。そのために演目とすることがはばかられた将軍家や、内訌の規模が小さい旗本や商家、農家におけるもめごとはお家騒動とは認知されていなかった。

抗争の原因として最も多いのは、家臣間の対立である。古参ともいうべき譜代の家臣と新参の家臣や出頭人との対立、当主の代替わりにおける役職交代による軋轢、藩政改革にともなう守旧派と改革派の対立、幕末期における信条の対立など、家臣間には主導権や藩政の方向性をめぐってあらゆる派閥抗争の動機があった。

また、藩主と家臣団の軋轢を要因としてお家騒動を起こした例もあった。有力な家臣を排除することで自身の権力を強化しようする藩主がいる一方で、家臣にとって不利益だったり、無能な主君を隠居押込などの手段で廃立しようとする家臣も存在した。また、諍いが原因で大名家を出奔した家臣がお家騒動の発端をつくった例もある。

その他では家督相続や養子縁組が事由の抗争も発生した。加賀騒動黒田騒動伊達騒動の「三大お家騒動」などではこれらの原因がいくつも複合していた。

こうした内紛は大名家中で解決するのがならわしであったが、問題を幕府や本家、親族の大名に訴え出ることで仲介や裁定を頼んだ当事者もいた。特に江戸時代初期の騒動では、求めに応じた幕府が審理にもとづいて大名家に介入し、改易や減封、転封などの処置を下している。しかし江戸中期徳川家宣の治世を経て、幕府は政策を改めて関与を徐々に減らし、19世紀はじめの仙石騒動を最後に、お家騒動への介入は行っていない。

研究史

戦後実証主義的な歴史学が興るまでは、勧善懲悪的な倫理観や史観から「忠臣」や「奸臣」といった儒教的評価による評論に終始していたが、戦後の実証研究では1965年(昭和40年)に北島正元が『御家騒動』を刊行し、従来の実録講談類の文芸作品による虚構を廃し、幕藩体制論の視点から個別の御家騒動を検討した。

北島以降も御家騒動研究は、一次資料に依拠し勧善懲悪史観を離れた視点による方法論が基本となり、吉永昭は個別御家騒動に関する把握を行い、笠谷和比古1988年昭和63年)に主君押込論を提唱した。また、福田千鶴は御家騒動の体系的な研究を行なっている。

御家騒動の分析は中世から近世にかけての家中意識(中世武士団から近世家臣団)の変化を探る上でも注目されているほか、幕藩体制論における御家騒動の位置付けも従来の幕府による諸大名家取り潰しの政策であったとする見解にも疑問が唱えられている。

また主従関係や性欲(男色)・名誉(意地)など武家の心性に関する検討も盛んになり、御家騒動は日本社会における組織や行動原理の起源に求め得るテーマとしても注目されている。従来は方法論として排除されてきた実録・講談類の文芸作品も、近世における慰霊・鎮魂意識や政治的利用、虚構の成立経緯や歴史的役割を検討することが行われはじめている。

主なお家騒動

江戸時代以前の家督争い・内紛

現代の「お家騒動」

ロッテお家騒動」のように、企業の経営陣内で対立が起き退職し新会社を設立したケースや、社長など経営陣がクーデターを起こされ解任されたケースなどが比喩的に「お家騒動」と呼ばれる場合がある。

参考文献

関連項目

脚注

  1. ^ 1749年寛延2年)からの前橋藩から姫路藩への転封工作を原因とするため。

御家騒動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 03:04 UTC 版)

秋田頼季」の記事における「御家騒動」の解説

先代以来重臣として、藩主(頼季)の実父としていずれにせよ権力を持つ荒木高村対し、藩内の荒木派は激しく対立した享保13年1728年6月混乱収めるべく荒木知行返上三春藩退去を願うものの、これは重臣らから拒否された。その一方で重臣らは三春藩荒木一派弾圧行った重臣らは荒木に対して隠居を迫るものの、荒木拒否した。しかし翌享保14年先代藩主輝季の未亡人貞岩院の意向もあり、荒木蟄居処分となったその後荒木高村の弟の荒木又市家来渡辺長右衛門藩命により死刑になった渡辺長右衛門遺族はこの処遇納得せず、顛末江戸幕府訴える。幕府藩主頼季に事情問い質したが、幕閣納得させる釈明はできなかった。幕府荒木高村ら藩重臣に対して詰問したが、上記通り事件時に荒木蟄居中であり、詳しい情報持っていなかった。享保15年3月15日幕府相談することなく重臣かつ実父荒木蟄居させたことや、充分な調査をせずに渡辺長右衛門死刑にしたことなどを問題とし、幕府により藩主の頼季は閉門処分命じられた。同年7月12日閉門許された。 実父荒木高村先立って、頼季は寛保3年1743年)に死去した長男の延季が跡を継いだ。 表 話 編 歴 秋田家三春藩4代藩主 (1715年 - 1743年) 加藤家加藤明利1627-1628 陸奥二本松藩転封 松下家松下長綱1628-1644 改易 秋田家秋田俊季1645-1649 秋田盛季1649-1676 秋田輝季1676-1715 秋田頼季1715-1743 秋田延季1743-1751 秋田定季1751-1757 秋田倩季1757-1797 秋田長季1797-1811 秋田孝季1803-1832 秋田肥季1832-1865 秋田映季1865-1871 廃藩置県

※この「御家騒動」の解説は、「秋田頼季」の解説の一部です。
「御家騒動」を含む「秋田頼季」の記事については、「秋田頼季」の概要を参照ください。


御家騒動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/12 13:30 UTC 版)

前田利保」の記事における「御家騒動」の解説

利保の隠居後、まだ若年であった利友の政治は、隠居の利保や利保の側室であった利友の生母・毎木や家臣団藩政後見することで運営されたが、次第富山藩富山派(利保派)と江戸派(毎木派)に分裂して抗争することとなる。嘉永6年1853年)に利友は早世したが、利友の同母弟(利保の七男)の利聲が跡を継いだため、権力構造変化はなかった。利聲は生母の毎木や江戸詰家老富田兵部江戸派結託して金札増発することで困窮した財政再建しようとしたが、これがかえって金融混乱招いた藩主結託することで江戸派の力が優勢になったため、利保は藩の中枢から遠ざけられるが、本家加賀藩主前田斉泰手を結んで巻き返し図り、毎木を蟄居追い込んだ安政4年1857年3月には、病気という名目により利聲を強制的に一切政務から遠ざけて、利保(利保派)が藩政実権取り戻した。「藤岡屋日記」に拠れば、利聲は押込、毎木は富山送られ押込富田兵部富山送られる道中駕籠の中で切腹しとされる。ただし著者はあくまで民間人であり、市中伝聞噂話綴ったのであるので確実ではない。 安政6年1859年8月に利保が死去すると、利聲には(幼年ながら)実子がいたにもかかわらず加賀本藩からの圧力により加賀藩主前田斉泰の子である利同を養子迎えさせられ上で隠居となり、同年11月22日に利同が富山藩となったまた、以降加賀本藩から富山家老派遣され藩政監督されることとなった

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