秋田孝季とは? わかりやすく解説

秋田孝季

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/29 04:27 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
 
秋田孝季
時代 江戸時代後期
生誕 天明6年(1786年
死没 天保15年11月24日1845年1月2日
戒名 大雄院殿英徳文明大居士
墓所 福島県田村郡三春町荒町の高乾院
官位 従四位下、主水正
幕府 江戸幕府
陸奥三春藩
氏族 秋田氏
父母 父:秋田倩季
兄弟 東太郎、長季孝季、加藤恭尹室、牧野成美正室
正室:(秋田季周の娘)
肥季季春、娘(松平忠和正室のち井上正春継々室)、娘(黒田直静正室)、娘(土岐頼寧正室)、娘(谷衛昉継々室)、セイ(大村純顕継室)
テンプレートを表示

秋田 孝季(あきた のりすえ)は、江戸時代後期の大名陸奥国三春藩の第9代藩主。秋田家第11代当主。第7代主・秋田倩季の三男。

当初は庶子であり、安東姓を称した。享和3年(1803年)11月、兄・長季隠居により家督を継ぐ。同年12月、従五位下山城守に叙任する。天保3年(1832年)3月、長男の肥季に藩主の座を譲り隠居した。隠居後、通称を主水正、伊予守に改めた。天保15年(1844年)に死去した。享年60。

東日流外三郡誌

東日流外三郡誌』が世に出始めた当初は「原本」という扱いであり、編者も孝季本人ということになっていた(あるいは思われていた)[1]。ところが議論が進んでいくうちに、藩主本人が書いたというには無理が出始めたため、「原本」はいつしか「写本」となり、編者も「秋田孝季」(たかすえ)という縁つながりの別人になった。

脚注





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「秋田孝季」の関連用語

秋田孝季のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



秋田孝季のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの秋田孝季 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS