黒田直静とは? わかりやすく解説

黒田直静

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/17 02:05 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
 
黒田直静
時代 江戸時代後期
生誕 文化7年3月15日1810年4月18日
死没 嘉永7年4月26日1854年5月22日
改名 燐也(幼名)、直静
別名 三五郎(通称)
戒名 天倫院専徳
墓所 埼玉県飯能市の能仁寺
官位 従五位下、豊前
幕府 江戸幕府
上総国久留里藩
氏族 黒田氏
父母 父:黒田直方、養父:黒田直侯
兄弟 直明直静、玄之助、直剛、曲淵直端、
直古(直養父)、神田直生
正室:秋田孝季の娘
加納久恒、養子:直和

黒田 直静(くろだ なおちか)は、上総久留里藩の第7代藩主。久留里藩黒田家8代。

生涯

文化7年(1810年)3月15日、第5代藩主・黒田直方の妾腹の次男として江戸下谷邸で生まれる。

長兄の直明の早世時はまだ幼少だったため、父が文化9年(1812年)9月13日に隠居したときには家督を継げなかった。

文政3年(1820年)6月、第6代藩主・直侯養子となり、文政6年(1823年)10月21日の直侯の隠居により家督を継いだ。

文政9年(1826年)12月、従五位下、豊前守に叙位・任官する。

天保11年(1840年)2月、大坂加番に任じられる。

藩政においては天保13年(1842年)11月に藩校・三近塾を創設して藩士の教育化を図る一方で、度重なる外国船襲来に備えて大砲を鋳造するなどの軍備強化にも努めている。

しかし弘化3年(1846年)には藩領である武蔵上野領内で利根川の氾濫などにより大規模な被害を受けるなど、藩財政は苦しかった。

嘉永7年(1854年)4月26日に死去した。享年45。跡を養子の直和が継いだ。





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「黒田直静」の関連用語

黒田直静のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



黒田直静のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの黒田直静 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS