御宸翰の影響
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「億兆安撫国威宣揚の御宸翰」の記事における「御宸翰の影響」の解説
この「御宸翰」は「戊辰の皇誓(五箇条の御誓文)」と共に、当時の人々の心に計り知れない影響を与えた。維新の元勲であった板垣退助は特に顕著で御宸襟を拝し感涙。明治6年(1873年)、征韓論争に敗れてからは、陛下は「君主と臣下の意識間隔を矯正しようとされておられ」さらに「広く会議を興し万機公論に決すべし」と皇祖皇宗の神霊に誓われたのであるから、有司専制を除去し「皆で相談して私的解釈を捨て、公義を取り、天皇を扶翼して国家を経綸」する為の国会を開設するに如かずと述べ、有志と謀って民撰議院設立建白書を左院へ提出した。
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