征韓論争とは? わかりやすく解説

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征韓論

(征韓論争 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/07 06:51 UTC 版)

征韓論(せいかんろん)は、日本幕末から明治初期において唱えられた朝鮮侵略論をいい、一般的には、1873年(明治6年)の対朝鮮論をさすことが多い。


注釈

  1. ^ 勝を征韓論者と位置付けるか否かは研究者の間でも見解の相違がある[9]
  2. ^ 『征韓論実相』は外務省六等出仕である森山茂が伝令書を入手して直ちに帰国し、外務省に報告したとしている[21]
  3. ^ このような説の先駆としては、明治六年政変当時の参議であった大隈重信が、政界で行き詰まった西郷が最後の光明として朝鮮の宮廷で華々しく散ることを求めたという評価を行っている(坂本多加雄 1998, p. 55)
  4. ^ 『西日本新聞』によれば、原口泉は「西郷はロシアの脅威に連携して対抗しようと考えた遣韓論だった」と主張し、落合弘樹は「鹿児島県外の研究者で遣韓論をとる人は少ない。西郷がどこを目指そうとしていたのかなど考えが分かりにくいために議論がまとまらない」と指摘している、という。[41]

出典

  1. ^ 우리역사넷”. contents.history.go.kr. 2023年12月5日閲覧。
  2. ^ 大野敏明『日本語と韓国語〈文春新書 233〉』文藝春秋、2002年 (平成14年) 3月20日 第1刷発行、ISBN 4-16-660233-0、97頁。
  3. ^ 藤村(1970)、13頁
  4. ^ 島田(1999)、11頁
  5. ^ 吉田松陰・幽囚録 「責朝鮮納質奉貢如古盛時(圧力で朝鮮に質を納めさせ、貢を奉らせていた古代の盛時のごとく・・)」云々
  6. ^ 石田徹 2000, p. 269.
  7. ^ 石田徹 2000, p. 272-273.
  8. ^ 石田徹 2000, p. 272.
  9. ^ 瀧川修吾 2003, p. 85-90.
  10. ^ 石田徹 2000, p. 270.
  11. ^ 木村直也 1993, p. 27.
  12. ^ 木村直也 1993, p. 28.
  13. ^ 木村直也 1993, p. 30.
  14. ^ 日本が「皇」という文字を使う事は無礼だ、として朝鮮は受け取りを拒否した。それまでは将軍が「日本国大君」「日本国王」として朝鮮との外交を行っていた。[要出典]
  15. ^ a b 坂本多加雄 1998, p. 55.
  16. ^ 「佐田白茅外二人帰朝後見込建白」(『公文録・明治八年・第三百五巻・朝鮮講信録(一―附交際書類)』、JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A01100124300、国立公文書館)9頁に次のように記されている:

    「朝鮮知守不知攻、知己不知彼、其人深沈狡獰固陋傲頑

    覺之不覺、激之不激、故断然不以兵力蒞焉、則不爲我用
    也、況朝鮮蔑視皇國、謂文字有不遜、以興耻辱於
    皇國、君辱臣死、實不戴天之寇也、必不可不伐之、不伐之

    皇威不立也、非臣子也」。

    すなわち、

    「朝鮮は守るを知りて攻めるを知らず、己を知りて彼を知らず、其の人は深沈・狡獰・固陋・傲頑、

    之を覺して覺らず、之を激して激せず、故に断然兵力を以って焉(いずく)んぞ蒞(のぞ)まざれば、則ち我が用を爲(な)さざる也、
    況や朝鮮は皇國を蔑視して、文字に不遜(ふそん)有りと謂(い)う、以って耻辱を皇國に與(あた)う、
    君を辱らるれば臣は死す、實(じつ)に不戴天の寇(あだ)なり、必ず之を伐たざるべからず、之を伐たざれば

    則ち皇威は立たざる也、臣子に非ざる也」。

  17. ^ 伊藤博文言行録 秋山悟庵 国立国会図書館デジタルコレクション コマ番号:34
  18. ^ 維新英雄言行録 吉田笠雨 国立国会図書館デジタルコレクション コマ番号:126
  19. ^ 田中彰「征韓論」『改訂新版・世界大百科事典 第15巻』平凡社、2007年9月1日 改訂新版発行、
  20. ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典『征韓論』 - コトバンク
  21. ^ a b 勝田政治 2011, p. 4.
  22. ^ a b 勝田政治 2011, p. 2.
  23. ^ a b 勝田政治 2011, p. 3.
  24. ^ 西南記伝上巻1 黒竜会 国立国会図書館デジタルコレクション コマ番号:175
  25. ^ 家近良樹 2011, p. 29.
  26. ^ a b 高橋秀直 1994, p. 51.
  27. ^ 高橋秀直 1994, p. 55.
  28. ^ 高橋秀直 1993, p. 58.
  29. ^ 高橋秀直 1994, p. 62.
  30. ^ 高橋秀直 1994, p. 63.
  31. ^ 高橋秀直 1993, p. 65.
  32. ^ 高橋秀直 1994, p. 67-68.
  33. ^ 高橋秀直 1994, p. 71.
  34. ^ 高橋秀直 1993, p. 71-72.
  35. ^ a b c d e f g 吉野誠 2000, p. 2.
  36. ^ a b c d e f 高橋秀直 1994, p. 42.
  37. ^ 吉野誠 2000, p. 13.
  38. ^ 家近良樹(2018), p. 40.
  39. ^ 吉野誠 2000, p. 5.
  40. ^ 家近良樹(2018), p. 41-42.
  41. ^ “西郷どん、実は親韓論者だった?定説『征韓論』に一石 28年前の大河ドラマ放映時にも論争”. 西日本新聞. (2018年1月25日). https://www.nishinippon.co.jp/item/n/389043 
  42. ^ “西郷隆盛・敬天愛人の会 – 奄美新聞”. 奄美新聞社. (2019年5月13日). http://amamishimbun.co.jp/2019/05/13/18137/ 


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征韓論争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 03:57 UTC 版)

自由民権運動」の記事における「征韓論争」の解説

欧米近代国家政治産業の発展状況視察し明治6年1873年9月13日帰国した岩倉具視らは、帰国後の会議で、留守政府首脳であった西郷隆盛板垣退助らが朝鮮の開国問題解決のためには武力行使もあえて辞さないという強硬論征韓論)を唱えたのに対し海外事情実見した大久保木戸らは内治優先論を唱えて反対征韓論否決になった。そのため、西郷板垣後藤象二郎江藤新平副島種臣征韓派の参議そろって辞職官僚600余名征韓論否決抗議して一斉に官を辞した明治六年政変)。

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「征韓論争」を含む「自由民権運動」の記事については、「自由民権運動」の概要を参照ください。

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