国政の動向
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「ウィリアム・キャヴェンディッシュ=ベンティンク (第3代ポートランド公爵)」の記事における「国政の動向」の解説
ポートランド公爵はノース内閣期(1770年 – 1782年)の全期間を通して野党の立場にあったが、1782年4月にロッキンガム侯爵が第2次内閣を組閣すると、アイルランド総督に任じられ、同年9月まで務めた。また、妻の叔父にあたるジョン・キャヴェンディッシュ卿(英語版)が財務大臣に任じられた。 しかし、1782年7月にロッキンガム侯爵が死去すると、ホイッグ党は再び分裂した。国王ジョージ3世は後任の首相として内務大臣の第2代シェルバーン伯爵ウィリアム・ペティを任命したが、外務大臣のチャールズ・ジェームズ・フォックスはシェルバーン伯爵の部下になることを嫌い、ジョン・キャヴェンディッシュ卿とともにポートランド公爵を首相に据えるようジョージ3世に要求した。この要求が拒否されるとフォックスもキャヴェンディッシュも辞任、直後にポートランド公爵、陸軍支払長官(英語版)エドマンド・バーク、外務省政務次官(英語版)リチャード・ブリンズリー・シェリダンが辞任した。 シェルバーン伯爵は小ピットを財務大臣に任命して危機を乗り越えようとしたが、ノース卿フレデリック・ノースがフォックスに味方したため、シェルバーン伯爵内閣は庶民院でも貴族院でも少数派のままになり、結局1783年4月に辞任を余儀なくされた。
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