ノース内閣期とは? わかりやすく解説

ノース内閣期(1770年 – 1782年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 07:35 UTC 版)

ウェルボア・エリス (初代メンディップ男爵)」の記事における「ノース内閣期(1770年1782年)」の解説

ノース内閣成立した後、1770年4月31日アイルランド副大蔵卿再任した。この時期においても植民地への強硬な態度崩さず1770年3月演説で(アメリカにおける)「すべての混乱印紙法廃止起因する」(All the confusion that has taken place [in America] is [...] totally owing to the repeal of the Stamp Act)と述べ首相ノース卿フレデリック・ノース提出したタウンゼンド関税法部分撤廃法案反対した。アメリカ独立戦争勃発直後1775年2月ノース卿提出した和解決議英語版)にも「アメリカ人からの、私たち優位に対す明示的かつ決定的な承認がない」(without an express and definitive acknowledgement from the Americans of our supremacy)として反対した。 植民地以外では1771年ロンドン市長ブラス・クロスビー(英語版)の議会議事録出版問題めぐって弁論主導しクロスビーロンドン塔送り動議して可決させた。1774年イギリス総選挙でウェイマス・アンド・メルコム・レジスに鞍替えして再選1780年1784年総選挙でも再選した1777年3月アイルランド副大蔵卿辞任同年6月10日海軍会計長官英語版)に就任した。さらに1782年2月11日にはジョージ・ジャーメイン卿の後任としてアメリカ担当国務大臣就任した。このとき、イギリスアメリカ独立戦争不利な情勢になっており、『英国議会史(英語版)』ではエリスが「信用されなくなった政策継承し崩れそうになった内閣入閣した」(inherited a discredited policy, and joined a Cabinet tottering to its fall)と評し、さらに「ノース内閣救える人はいない」(no one could have saved North’s Administration)と評した。それでも2月22日に「好戦的」(bellicose、『オックスフォード英国人名事典』による評価)な演説をして、戦争継続支持したが、エドマンド・バーク厳しく批判された。3月15日弁論連立内閣組閣支持したが、数日後には首相ノース卿辞任エリス国務大臣退任した

※この「ノース内閣期(1770年 – 1782年)」の解説は、「ウェルボア・エリス (初代メンディップ男爵)」の解説の一部です。
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