イングランドの地主ジェントリに
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/20 15:51 UTC 版)
「ヘンリー・ドーキンス」の記事における「イングランドの地主ジェントリに」の解説
1780年イギリス総選挙で再びチペナム選挙区から出馬し、すでに70歳と老齢の現職議員ロルトが撤退したこともあって当選した。以降チペナム選挙区への影響力を確保するためにチペナムにおける市民借地権(英語版)の買い上げをはじめたが、チペナムの地方自治体(corporation)は完全支配を防ぐようドーキンスと(同じく買い上げを続けている)フラッディヤー準男爵(英語版)家にこれ以上の買い上げを中止するよう求め、1791年6月に同意させた。アメリカ独立戦争期の庶民院会議には頻繁に出席し、ノース内閣期のうち1780年3月から1782年3月の採決では常に野党側で投票した。1784年イギリス総選挙で議席を息子ジェームズに譲って退任した。 議員退任以降も不在地主でありながらジャマイカの領地管理に関わり、1787年にアフリカ人奴隷71人を、1793年に42人を購入した。また、1773年から1805年まで西インド農園主・商人協会(Society of West India Planters and Merchants)という奴隷貿易廃止に反対する圧力団体の会員だった。
※この「イングランドの地主ジェントリに」の解説は、「ヘンリー・ドーキンス」の解説の一部です。
「イングランドの地主ジェントリに」を含む「ヘンリー・ドーキンス」の記事については、「ヘンリー・ドーキンス」の概要を参照ください。
- イングランドの地主ジェントリにのページへのリンク