ノース一族の黎明
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/03 14:00 UTC 版)
弁護士エドワード・ノース(英語版)(1496-1564)は貴族院議会事務総長(英語版)や増収裁判所(英語版)書記官を務めたのち、1554年にケンブリッジ州カートリング・タワーのノース男爵(Baron North, of Kirtling Tower in the County of Cambridge)として貴族院から議会招集を受けた。彼ののちは、息子のロジャーが爵位を襲った。 2代男爵ロジャー(1530-1600)は駐仏英国大使や王室会計長官(英語版)を務めた廷臣であったが、息子ジョンに先立たれれていたため、爵位は孫のダドリー、同名の長男ダドリーの順で継承されている。 4代男爵ダドリー(1602-1677)は襲爵前に庶民院、短期議会及び長期議会議員を務めている。また、彼の次男は1683年にギルフォード男爵(Baron Guilford)に叙せられたたため、ノース男爵家の分家が誕生した。 その子チャールズ(1636-1691)は父の存命中の1673年に貴族院よりスタッフォード州ロールストンのグレイ男爵(Baron Grey, of Rolleston in the County of Stafford)として議会招集を受けている。1677年以降はノース男爵位も継承して、彼が亡くなるとその子ウィリアムが爵位を相続した。 6代男爵ウィリアム(1673-1734)はアン女王の崩御ののちジャコバイトとして活動した。アタベリー陰謀事件の嫌疑から辛くも逃れると大陸に移住、1722年にジャコバイト爵位たる「ノース伯爵」に叙されている。彼には子がいなかったため、グレイ男爵位と「ノース伯爵位」は廃絶した。他方、ノース男爵位は分家筋の第3代ギルフォード男爵フランシス・ノースが継承した。
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