ノース人の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 22:15 UTC 版)
「北部諸島 (イギリス)」の記事における「ノース人の時代」の解説
8世紀は、スコットランド沿岸部においてヴァイキング襲来が始まった時代であり、彼らとともに北部諸島へ新たな文化と言語が流入し、先住民の運命が不確かになっていった。オークニンガ・サガ(英語版)によると、バイキングはその後島々をノルウェーとスコットランド本土の沿岸に対する海賊遠征の本拠地としていく。これに対抗してノルウェー王ハーラル1世(ハーラル美髪王)は、875年に北部諸島を併合し、ローンヴァルド・エイステインソン(英語版)がハーラル1世から、スコットランドにおける戦闘時に戦死した子息に対する補償として伯爵を受け、オークニー諸島とシェトランド諸島をその領地として与えられた(学者の中にはこの物語の出処に疑念を抱いており、後世の裸足のマグヌスの航海が元になっていると考えている者もいる)。 995年にオーラヴ・トリグヴァソン王がアイルランドからノルウェーに帰還する途中、サウス・ウォールズに立ち寄った際、島々は完全にキリスト教化された。王はシグルド・ザ・スタウト(英語版)伯爵を召喚し、「私はそなたと領民全てに洗礼を受けるよう命ずる。拒絶すれば、この場で死に処し、島内のあらゆるものを炎と鋼で破壊し尽くすと誓う」と述べた。慌てる素振りも見せずシグルトは了承し、島々は一挙にキリスト教化し、11世紀初頭には独自の司教(英語版)を輩出している。
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