ノース人の入植と航海者の伝説とは? わかりやすく解説

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ノース人の入植と航海者の伝説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 14:12 UTC 版)

ニューファンドランド島」の記事における「ノース人の入植と航海者の伝説」の解説

ニューファンドランドは、ノース人北米入植地のうち唯一実際入植跡が確認されている場所である。ノルウェー人探検家ヘルゲ・イングスタッド(Helge Ingstad)とその妻で考古学者のアン・スタイン・イングスタッド(Anne Stine Ingstad)は、1960年に島北端ランス・オ・メドー遺跡発見した長年にわたる発掘結果入植地クリストファー・コロンブス大西洋横断500年以上先立つもの確認され糸車鍛冶道具などが発見されたことから北米における最古ヨーロッパ人居住痕跡とされた。ユネスコの世界遺産にも登録されランス・オ・メドーは、ヴァイキング航海者レイフ・エリクソン到達したヴィンランド入植地信じられている。ノース人先住民との衝突起こし、おそらく999年から1001年までの、比較短期間しか留まらなかった。1010年ごろにソルフィン・カルルセフニヴィンランド大勢連れて入植したという伝があるが、これも短期間終わっている。 その他のヨーロッパの国の人たちもニューファンドランド発見者だという言い伝えがある。アイルランド聖ブレンダンもこの島を発見したとされる人々一人であり、『聖ブレンダン航海』という歌はニューファンドランドでは有名である。ウェールズ民話では、マドック王子Prince Madoc)が探検の末1170年アメリカ到達したとされているが、彼の通った航路到達した場所の詳細分からないスコットランドでは、オークニー伯ヘンリー・シンクレア(Henry I Sinclair, Earl of Orkney)が1300年代の末に新大陸発見したとされるポルトガルでは、エンリケ航海王子1431年アゾレス諸島発見したころに新大陸発見されたという主張がある。1490年ごろに残され地図には、アイスランド南西の、およそアイルランド同程度緯度3つの島が描かれており、これがニューファンドランド周辺の島だという説もある。これら3つの島は7人の司祭発見した7つ都市の島」あるいは「ブラジル島(Isle of Brasile)」と呼ばれている。ブリストル商人1480年ブラジル島を求めて航海したことを述べた記録残っているが、何も見つからなかったという。

※この「ノース人の入植と航海者の伝説」の解説は、「ニューファンドランド島」の解説の一部です。
「ノース人の入植と航海者の伝説」を含む「ニューファンドランド島」の記事については、「ニューファンドランド島」の概要を参照ください。

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