和解決議
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/21 21:54 UTC 版)
「アメリカ独立戦争における外交」の記事における「和解決議」の解説
イギリスの首相フレデリック・ノース卿は、1775年2月20日に可決した和解案を起草することで柄にも無い役割を果たした。これはアメリカ独立戦争の勃発直前に13植民地との和平にこぎつけようとしたものだった。この和解案では、市民政府と司法行政(すなわちいかなる反イギリス反乱に対抗するもの)を共通して防衛にあたり支持を表明する植民地は、通商の規制に必要なものを除き税の支払や義務を免れるというものだった。和解案は各植民地に宛てて作られて送付され、意図的に超法規の存在である大陸会議を無視した。 ノース卿は植民地人の内部分裂を期待し、革命、独立の動き(特に大陸会議によって代表されるものの動き)を弱めようと図った。 この和解案は「あまりに瑣末であまりに遅すぎた」ことが分かった。アメリカ独立戦争は1775年4月19日のレキシントン・コンコードの戦いで始まった。大陸会議は1775年7月31日付けで報告書(ベンジャミン・フランクリン、トーマス・ジェファーソン、ジョン・アダムズおよびリチャード・ヘンリー・リーが起草)を公開し、和解案を拒否した。
※この「和解決議」の解説は、「アメリカ独立戦争における外交」の解説の一部です。
「和解決議」を含む「アメリカ独立戦争における外交」の記事については、「アメリカ独立戦争における外交」の概要を参照ください。
- 和解決議のページへのリンク