国政への介入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/15 22:03 UTC 版)
夫のフアン・ドミンゴが大統領に選出された後、ファーストレディ(大統領夫人)となったエバは、高等教育も受けておらず、またその権利も正当性もないにもかかわらず、夫の地位を背景に積極的に国政に介入するようになった。 正義党への支援票を増やすべく、夫の指示を受けて婦人部門を組織させた上に女性参政権を導入させ、労働者用の住宅、孤児院、養老院などの施設整備を名目に慈善団体「エバ・ペロン財団」を設立した。また、ミシン、毛布、食料などを配布(その一部は敗戦による困窮状況にあった日本にも送られた)するなど、「再分配」によってブルーカラーの労働者階級を主な支持層としたペロン政権の安定に大きな貢献をした。 これらのことから、特にアルゼンチン国民の多くを占めるブルーカラーの労働者階級から支持を受け、「エビータ」と愛称で呼ばれるようになり、当時のアルゼンチンで最も影響力のある人物となった。しかしエバによる再分配の資金は、税金のみならず、労働者や企業から半ば強制的に取り立てた「献金」によってまかなわれていたため、アルゼンチンの経済に大きな悪影響を与えた。また、財団を利用した蓄財や汚職の疑いも受けている。 さらに、下層階級出身でまともな教育も受けておらず、しかも選挙で選ばれたわけでもないのに国政に参加していたこと、経済状況も顧みずに公私混合の再分配を行っていたことなどから、中流層以上の知識階級や富裕層、軍上層部から大きな批判を浴びた。また水着モデルで元高級売春婦、愛人というその経歴から、「淫売」、「成り上がり」と非難を受けた。カトリック信者がそのほとんどを占める保守的なラテンアメリカの土壌においては、女性として政治において活動的過ぎる人物と見なす者も多かった。
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