陸奥国政への介入とは? わかりやすく解説

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陸奥国政への介入

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 23:59 UTC 版)

日本の古代東北経営」の記事における「陸奥国政への介入」の解説

光仁天皇即位直前神護景雲4年9月16日770年10月9日)、道鏡姦計告げて排斥し功績により、坂上苅田麻呂鎮守将軍叙任された。苅田麻呂道嶋嶋足とともに藤原仲麻呂の乱武功挙げた人物である。しかし在任期間は僅か6ヵ月で、翌宝亀2年3月1日771年4月20日)には後任佐伯美濃鎮守将軍陸奥守兼任している。 中央政府政界陸奥国政界捻れ現象に対して光仁朝は道嶋氏陸奥国支配体制次第抑圧介入動き強めていく。 宝亀2年から3年の夏にかけて、陸奥国司陣容大きく変化しつつあった。2年3月には佐伯美濃陸奥守鎮守将軍兼ね7月には笠道引陸奥介となり、3年4月には粟田主が陸奥員外となっている。道嶋氏寄りとみられる陸奥守石川名足と前陸奥介田口安麻呂2人ほどなく都へ帰還したとみられ、道嶋三山主と入れ替わり陸奥員外介の任を退いた宝亀3年9月27日772年10月27日)、大伴駿河麻呂陸奥按察使任命された。駿河麻呂老齢理由固辞したが、光仁天皇は「此の国陸奥)は、元来、人を択び、以て其の任を授く」と固辞を許さなかった。翌年7月21日773年8月13日)に駿河麻呂鎮守将軍兼ねることになる。

※この「陸奥国政への介入」の解説は、「日本の古代東北経営」の解説の一部です。
「陸奥国政への介入」を含む「日本の古代東北経営」の記事については、「日本の古代東北経営」の概要を参照ください。

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