本国での休暇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 05:50 UTC 版)
「ジョン・エリオット (西フロリダ総督)」の記事における「本国での休暇」の解説
同1763年に七年戦争が終戦したため、エリオットはロンドンで休暇を過ごしたが、6月に陸軍2個連隊をジブラルタルに護送し、8月6日にはテムズの艦長として地中海艦隊に加わり、1765年まで務めた。戦時中ではなかったため、この時期のエリオットは功績がほとんどなかったが、1764年5月31日にジェノヴァでエドワード・ギボンに出会っている。1765年7月に在オスマン帝国イギリス大使(英語版)ヘンリー・グレンヴィル(英語版)をコンスタンティノープルから本国に護送する任務を受けたが、11月にトゥーロンで船底の修理が必要になったため、グレンヴィルは上陸してフランス経由で帰国、エリオットは1766年1月に修理が終わった後に出発、ジブラルタルに立ち寄った後2月17日にプリマスに到着した。3月にテムズ艦長の軍職から退任、半年間の休暇を経て10月24日に警備艦ファーム(英語版)の艦長に任命された。警備艦の艦長は職務が少なく、エリオットは1767年初をポート・エリオット(英語版)の実家で過ごした。 この時代のイギリスでは商務庁が植民地事務を統括しており、兄エドワードが下級商務卿(Lord of Trade)を務めた上、第一商務卿の初代クレア子爵ロバート・ニュージェントも親族(母の妹の夫)にあたるため、2人の影響力により1767年3月16日に西フロリダ総督に任命された。これに伴い、6月11日にファーム艦長を退任した。しかし、出発の準備をしている間にチャタム伯爵内閣が倒れ、次のグラフトン公爵内閣で植民地大臣の官職が新設されるといった、西フロリダ総督として関心を寄せるべき事柄が次々と起こり、エリオットは1768年末までポート・エリオットで過ごし、1769年1月6日に出発した。
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