第二次パッシェンデール戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/12 00:48 UTC 版)
「パッシェンデールの戦い」の記事における「第二次パッシェンデール戦」の解説
詳細は「第二次パッシェンデール戦」を参照 この時点で酷く消耗していたANZAC軍の代替として、カナダ軍団の二個師団が戦線に投入された。ヴィミー高地(en:Battle of Vimy Ridge)と70高地の戦い(en:Battle of Hill 70)における勝利の結果、カナダ軍は精鋭部隊として認められ、以後戦争を通じて最悪の戦場の幾つかに投入されることとなった。 到着に当り、カナダ部隊の総指揮官だったサー・アーサー・カリー将軍(en:Arthur Currie)は、目標を達成する上での損害は16,000人になるだろうとの見解を表明した。カリーは目標の価値に対してこの数字は異常に高過ぎるとの意見を持っていたが、ヘイグはここ何年かに連合軍が蒙った大損害を通じて損害何十万人と言った程度の数字には動じなくなってしまっており、攻勢を実行するよう命令した。 カナダ軍部隊は10月半ばに戦線入りした。1917年10月26日、カナダ軍の第三師団と第四師団の計20,000人が突出部の丘陵地帯を前進し、第二次パッシェンデール戦が開始された。連合軍は何百メートルかの前進と引き換えに12,000人の損害を出した。 イギリス軍二個師団の増援を受けて、10月30日に大雨の中で実施された二回目の攻撃により町は奪取された。続く5日間に渡りドイツ軍の砲撃と反撃に耐え、11月6日に第二波の増援部隊が到着した時点でカナダ軍二個師団の兵員は五分の四が失われていた。 交代部隊として投入されたのはカナダの第一師団と第二師団だった。ドイツ軍は依然戦場を取り囲んでいたため、6日に第三師団の残存兵力による限定的な攻撃が実施され、これに呼応した第一師団による大きな前進により戦域全体に渡って要地が確保された。 この攻撃で第一師団が実施した中の一例は52高地に対するものだった。52高地はパッシェンデールが位置したのと同じ低い丘の一角を占めており、この攻撃を支援するためにカナダ大陸派遣軍の第10大隊(en:The Calgary Highlanders)が予備から投入された。この大隊は本来攻撃に参加する予定では無かったが、第10大隊の指揮官は部下にあたかも攻撃主力を担当するかのように準備させており、この判断は大隊が予備状態を解除された時点で報われた。1917年11月10日、第10大隊は目標を軽微な損害で占拠した。 同日の第二師団による更なる攻撃によりドイツ軍は斜面から町の東へと追いやられ、連合軍による高地の確保は揺ぎ無いところとなった。
※この「第二次パッシェンデール戦」の解説は、「パッシェンデールの戦い」の解説の一部です。
「第二次パッシェンデール戦」を含む「パッシェンデールの戦い」の記事については、「パッシェンデールの戦い」の概要を参照ください。
- 第二次パッシェンデール戦のページへのリンク