糞
人糞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 00:29 UTC 版)
日本の江戸時代では、肥料用の人糞が金銭で購入され、後述のように発酵処理のうえで金肥(きんぴ、かねごえ)と称された。だが人糞を肥料として用いるのは、世界的に見ると一般的なものではない。多くの国・民族において、人糞を人間の食料を生産する畑に投下することは忌避されてきた。例えば明治時代に北海道に住むアイヌ民族がなかなか農業に馴染まなかったとされ、その最大の問題は人糞を肥料に用いることであったと言われる。 しかし他の東アジア地域では、伝統的に人糞を肥料として利用している。人糞を肥料として用いたことが確認される最初の例は、鎌倉時代の日本とも言われる。これ以降、都市部の人糞を農家が回収するシステムが生まれ、日本の都市は世界的にみて、清潔なものとなったと言う。 江戸時代には、その人糞を出す階層により、その価値が違い、栄養状態のよい階層(最上層は江戸城)から出された人糞は、それより下の階層(最下層は罪人)が出す物より高い値段で引き取られた。江戸城から出る人糞は、葛西村の葛西権四郎が独占していた。長屋に併設された共同便所は、これらの肥料原料を効率良く収集するために設置され、ここから得られた肥料で城下町周辺部の農地は大いに肥え、町民に食糧を供給し続けた。江戸落語の中に、店子が喧嘩した大家へ「二度とてめえの長屋で糞してやらねぇ!」と捨て台詞を吐く、やや分かりにくい描写があるが、こういった背景を考えると「大家の利益になる行為を拒否する」という真意が分かりやすい。明治期以降においても人糞は貴重な肥料であり、高値で引き取られた。そのため、学生などが下宿する場合においては、部屋を複数人以上(具体的人数はその時の取引相場で異なる)で共同で借りた場合は、部屋の借り賃が無料になることもあった。大勢の壮丁が集団生活を営む軍隊においても、下肥は民間業者へ払い下げられた。 肥料として用いる人糞は、そのまま使うと作物が根腐れするため、たいていは肥溜めに入れて発酵させて利用する。ちなみに発酵中の物は非常に臭いが強く、さらに衛生害虫になるクロバエ類やニクバエ類、またカの中でも最も富栄養状態に適応したオオクロヤブカの発生源となるなどの問題があった。また、人糞肥料を媒介とした寄生虫の流行も問題となった。 農民が直接人糞を引き取る形態は、バキュームカーや下水道が普及したことや、前述の肥溜めや寄生虫等の衛生上の問題もあり、昭和後期以降において廃れることになった。しかし、現在も下水の汚泥を醗酵処理した肥料が製造販売(自治体によっては無償提供)され、人糞などを原料とした肥料は利用されている。
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