かよう‐きょく〔カエウ‐〕【歌謡曲】
歌謡曲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/07 02:12 UTC 版)
歌謡曲(かようきょく)とは、主に昭和時代に流行した日本のポピュラー音楽の総称である。その中でも昭和時代に発表された楽曲群は昭和歌謡とも呼ばれる。
注釈
- ^ 他方、演歌サイドにとっての「歌謡曲」とは「ひたすら耳に快感を与える」音楽といった説明がなされることもある[3]。
- ^ この用法は現在でも使用されることがあり、クラシック的な歌曲、欧米のポピュラー音楽のカバー曲、シャンソンを指す和名としてなど、広いカテゴリーを持っている。
- ^ 『読売新聞』の昭和8年7月7日の記事には「『歌謡曲』というから、シューベルトやブラームスのリート(歌曲)を放送するのかと早合点すると、そうではない。渋谷の姐さんが歌う流行歌であり、AK(現在のNHK東京)の当事者に理由を聞くと、何故か放送ではなるべく流行歌なる語を使いたくないそうだ」(仮名遣い等を一部現代語化、小学館日本国語大辞典「歌謡曲」の項に掲載)と書かれており、当時、「歌謡曲」がクラシック音楽の歌曲を意味していたこと、そしてNHK側も「流行歌」という言葉を使用しなかった事情の一端が窺える。
- ^ この頃には演歌の歌唱法と比較した場合に感情表現が少なめな音楽として歌謡曲という用語が用いられている。
- ^ 1999年にP-VINEレーベルが『テクノ歌謡』をタイトルとするコンピレーション・アルバムを発表。
- ^ 小泉 1984に収録。
- ^ a b 小泉文夫や佐藤良明の所説に関して、"増田聡、「音階論とポピュラー音楽研究 : 小泉文夫による歌謡曲論の理論的前提」『鳴門教育大学研究紀要 芸術編』2003年3月7日 第18巻 p.13-21, 鳴門教育大学" が論じている。
出典
- ^ 永嶺 重敏. “歌う大衆と関東大震災「船頭小唄」「籠の鳥」はなぜ流行したのか、永嶺 重敏(著)”. 青弓社. 2022年2月4日閲覧。
- ^ 菊池清麿. “特集2. 日本の大衆音楽 (終)”. 東芝. 2009年5月31日閲覧。web魚拓
- ^ “演歌から《演歌》へ パリから見る日本の演歌 1”. JASRAC寄附講座 (2002年10月21日). 2009年5月31日閲覧。
- ^ a b 世界大百科事典第二版。
- ^ a b 久保 1991, p.279。
- ^ a b c d e 「関西発レコード120年 第2部・歌謡曲秘話(8)“歌謡曲”の起源」(『神戸新聞』1997年4月13日付朝刊17面)。
- ^ 久保 1991, pp.254-257。
- ^ “藍川由美「NHK國民歌謠〜ラジオ歌謡」を歌う”. 藍川由美公式HP. 2013年2月11日閲覧。 web魚拓
- ^ NHK『歌謡スクランブル』2003年6月放送「ザ・ピーナッツ特集」での解説。
- ^ 『現代用語の基礎知識』自由国民社、1986年1月1日、1091頁。
- ^ a b 宮台・石原・大塚 2007, p. 167.
- ^ 四方宏明「テクノ歌謡の逆襲〜Part I P-VINEの『テクノ歌謡シリーズ』」、四方宏明「テクノ歌謡の逆襲〜Part 3 テクノ歌謡発掘隊が行く」。
- ^ 宮台・石原・大塚 2007, p. 181.
- ^ ラジトピ「昭和歌謡・ポップスにスポットが当たる理由 当時を知るヒットメーカー「今の若い人たちに響くのは当然かも」
- ^ 佐藤 1999。
歌謡曲(流行歌)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 05:42 UTC 版)
「当世銀座節」(作曲:中山晋平、歌唱:佐藤千夜子、1928年) 「お菓子と娘」(作曲:橋本国彦、1929年) 「東京行進曲」(作曲:中山晋平、歌唱:佐藤千夜子、1929年) 「鞠と殿さま」(作曲:中山晋平、歌唱:平井英子、1929年) 「愛して頂戴」(作曲:中山晋平、歌唱:佐藤千夜子、1929年) 「唐人お吉の唄(明烏編)」(作曲:中山晋平、歌唱:藤本二三吉、1930年) 「アラその瞬間よ」(作曲:松下庄三郎、歌唱:藤野豊子、1930年) 「この太陽」(作曲:中山晋平、歌唱:佐藤千夜子、1930年) 「女給の唄」(作曲:塩尻精八、歌唱:羽衣歌子、1931年) 「侍ニッポン」(作曲:松平信博、歌唱:徳山璉、1931年) 「ルンペン節」(作曲:松平信博、歌唱:徳山璉、1931年) 「わたしこの頃変なのよ」(作曲:町田嘉章、歌唱:四家文子、1931年) 「銀座の柳」(作曲:中山晋平、歌唱:四家文子、1932年) 「天國に結ぶ戀」(作曲:松平信博、歌唱:徳山璉・四家文子、1932年) 「涙の渡り鳥」(作曲:佐々木俊一、歌唱:小林千代子、1932年) 「あの尾根越えて」(作曲:中山晋平、歌唱:藤田正夫、1932年) 「恋は海辺で」(作曲:萱間三平、歌唱:渡辺光子、1932年) 「東京音頭」(作曲:中山晋平、歌唱:小唄勝太郎・三島一声、1933年) 「佐渡を想えば」(作曲:佐々木俊一、歌唱:小唄勝太郎、1933年) 「サーカスの唄」(作曲:古賀政男、歌唱:松平晃、1933年) 「来る来るサーカス」(作曲:古賀政男、歌唱:淡谷のり子、1933年) 「十九の春」(作曲:江口夜詩、歌唱:ミス・コロムビア(松原操)、1933年) 「祖国の護り」(作曲:村越国保、歌唱:小野巡、1934年) 「勝太郎子守唄」(作曲:佐々木俊一、歌唱:小唄勝太郎、1936年) 「花言葉の唄」(作曲:池田不二男、歌唱:松平晃・伏見信子、1936年) 「ミス仙台」(『乙女十九』の元歌、作曲:古関裕而、歌唱:二葉あき子、1936年) 「戦友の唄」(『同期の桜』の元歌、作曲:大村能章、歌唱:樋口静雄、1938年) 「旅の夜風」(作曲:万城目正、歌唱:霧島昇・ミス・コロムビア、1938年) 「悲しき子守唄」(作曲:竹岡信幸、歌唱:ミス・コロムビア、1938年) 「支那の夜」(作曲:竹岡信幸、歌唱:渡辺はま子、1938年) 「憧れの荒鷲」(作曲:古関裕而、歌唱:ミス・コロムビア、二葉あき子、松平晃、1938年) 「巨人軍の歌(野球の王者)」(作曲:古関裕而、歌唱:伊藤久男、1939年) 「東京ブルース」(作曲:服部良一、歌唱:淡谷のり子、1939年) 「純情二重奏」(作曲:万城目正、歌唱:霧島昇・高峰三枝子、1939年) 「荒鷲慕いて」(作曲:古関裕而、歌唱:松平晃、松原操、二葉あき子、香取みほ子、渡辺はま子、1939年) 「よくぞ送って下さった斎藤大使遺骨礼送に対し米国へ寄せる感謝の歌」(作曲:古関裕而、歌唱:瀬川伸、1939年) 「誰か故郷を想わざる」(作曲:古賀政男、歌唱:霧島昇、1940年) 「春よいずこ」(作曲:古賀政男、歌唱:藤山一郎・二葉あき子、1940年) 「お島千太郎旅唄」(作曲:奥山貞吉、歌唱:伊藤久男・二葉あき子、1940年) 「熱砂の誓い(建設の歌)」(作曲:古賀政男、歌唱:伊藤久男、1940年) 「蘇州夜曲」(作曲:服部良一、歌唱:霧島昇・渡辺はま子、1940年) 「愛馬花嫁」(作曲:万城目正、歌唱:ミス・コロムビア・菊池章子・渡辺はま子、1940年) 「蘇州の夜」(作曲:仁木他喜雄、歌唱:李香蘭、1941年) 「乙女の祈り」(作曲:伊藤宣二、歌唱:李香蘭、1941年) 「そうだその意気(国民総意の歌)」(作曲:古賀政男、歌唱:霧島昇・松原操・李香蘭、1941年) 「みんな揃って翼賛だ」(作曲:古関裕而、歌唱:霧島昇、松原操、高橋祐子、1941年) 「総進軍の鐘は鳴る」(作曲:古賀政男、1941年) 「打倒米英」(作曲:古賀政男、歌唱:霧島昇、1942年) 「壮烈特別攻撃隊」(作曲:山田耕作、1942年) 「陥としたぞシンガポール」(作曲:古賀政男、歌唱:霧島昇、1942年) 「空の軍神」(作曲:古関裕而、歌唱:藤山一郎、1942年) 「高原の月」(作曲:仁木他喜雄、歌唱:霧島昇・二葉あき子、1942年) 「雨の夜の花」(作曲:鄧雨賢、歌唱:渡辺はま子、1942年) 「大航空の歌」(作曲:佐々木俊一、1943年) 「若鷲の歌(予科練の歌)」(作曲:古関裕而、歌唱:霧島昇・波平暁男、1943年) 「風は海から」(作曲:服部良一、歌唱:渡辺はま子、1943年) 「湖畔の乙女」(作曲:早乙女光、歌唱:菊池章子、1943年) 「麗人の歌」(作曲:古賀政男、歌唱:霧島昇、1946年) 「悲しき竹笛」(作曲:古賀政男、歌唱:近江俊郎・奈良光枝、1946年) 「旅の舞姫」(作曲:古賀政男、歌唱:霧島昇、1947年) 「三百六十五夜」(作曲:古賀政男、歌唱:霧島昇・松原操、1948年) 「恋の曼珠沙華」(作曲:古賀政男、歌唱:二葉あき子、1948年) 「トンコ節」(作曲:古賀政男、歌唱:久保幸江・加藤雅夫、1949年) 「青い山脈」(作曲:服部良一、歌唱:藤山一郎・奈良光枝、1949年) 「花の素顔」(作曲:服部良一、歌唱:藤山一郎、1949年) 「山のかなたに」(作曲:服部良一、歌唱:藤山一郎、1950年) 「赤い靴のタンゴ」(作曲:古賀政男、歌唱:奈良光枝、1950年) 「越後獅子の唄」(作曲:万城目正、歌唱:美空ひばり、1950年) 「角兵衛獅子の唄」(作曲:万城目正、歌唱:美空ひばり、1951年) 「こんな私じゃなかったに」(作曲:古賀政男、歌唱:神楽坂はん子、1952年) 「娘十九はまだ純情よ」(作曲:上原げんと、歌唱:コロムビア・ローズ、1952年) 「ゲイシャ・ワルツ」(作曲:古賀政男、歌唱:神楽坂はん子、1952年) 「丘は花ざかり」(作曲:服部良一、歌唱:藤山一郎、1952年) 「伊豆の佐太郎」(作曲:上原げんと、歌唱:高田浩吉、1952年) 「ひめゆりの塔」(作曲:古関裕而、歌唱:伊藤久男、1953年) 「哀愁日記」(作曲:万城目正、歌唱:コロムビア・ローズ、1954年) 「白鷺三味線」(作曲:上原げんと、歌唱:高田浩吉、1955年) 「ピレネエの山の男」(作曲:古賀政男、歌唱:岡本敦郎、1955年) 「この世の花」(作曲:万城目正、歌唱:島倉千代子、1955年) 「りんどう峠」(作曲:古賀政男、歌唱:島倉千代子、1955年) 「娘船頭さん」(作曲:古賀政男、歌唱:美空ひばり、1955年) 「あゝ藤原湖」(作曲:古関裕而、歌唱:伊藤久男・奈良光枝、1955年) 「別れたっていいじゃないか」(作曲:上原げんと、歌唱:神戸一郎、1956年) 「しあわせはどこに」(作曲:万城目正、歌唱:コロムビア・ローズ、1956年) 「王将」(作曲:船村徹、歌唱:村田英雄、1961年) 「絶唱」(作曲:市川昭介、歌唱:舟木一夫、1966年) 「夕笛」(作曲:船村徹、歌唱:舟木一夫、1967年) 「芸道一代」(作曲:山本丈晴、歌唱:美空ひばり、1967年) 「乙女はいつか星になる」西條八十の遺作に西田陽一が作曲したもので、1972年、ツームストーンズ(メンバー:川崎弘、尾崎高志、佐々木久美子、司寛)の歌で、自主制作による限定盤シングル(オーミック N-501)として発売。 1985年発売の乙女隊がデビューシングルとして上記の曲をカバー。その後1993年に「西条八十生誕100周年記念曲」として飛鳥あおい(元乙女隊の松原あかねが改名)がカバーしている(作曲者としてクレジットされている牧奈一慶は西田陽一の別名)。 「人間の証明のテーマ」(作曲:大野雄二、歌唱:ジョー山中、1977年)映画「人間の証明」のテーマ曲。西條八十の原詩をジョー山中が英訳して歌った。 「ルンペン節」「天國に結ぶ戀」 この2作は「柳水巴」作詞とされているが、これは西條八十の変名である。
※この「歌謡曲(流行歌)」の解説は、「西條八十」の解説の一部です。
「歌謡曲(流行歌)」を含む「西條八十」の記事については、「西條八十」の概要を参照ください。
「歌謡曲」の例文・使い方・用例・文例
歌謡曲と同じ種類の言葉
- 歌謡曲のページへのリンク