えちご‐じし〔ヱチゴ‐〕【▽越後×獅子】
読み方:えちごじし
越後国西蒲原(にしかんばら)郡月潟(つきがた)村(現、新潟市)から出て諸国を回っていた一人立ちの獅子舞。獅子頭(ししがしら)をかぶった子供が、親方の笛・太鼓に合わせて曲芸をして、銭を請うた。江戸中期から後期に盛行。角兵衛獅子。蒲原獅子。《季 新年》
地歌。手事物(てごともの)。天明年間(1781〜1789)に峰崎勾当(みねざきこうとう)が作曲。市浦検校や八重崎検校が手を加えたものもある。歌詞は
を題材にして越後名物をよみ込む。
歌舞伎舞踊。長唄。篠田金次作詞、9世杵屋六左衛門(きねやろくざえもん)作曲。七変化「遅桜手爾葉七字(おそざくらてにはのななもじ)」の一つとして、文化8年(1811)江戸中村座で3世中村歌右衛門が初演。
越後獅子
越後獅子
越後獅子
越後獅子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/14 01:28 UTC 版)

越後獅子(えちごじし)とは、新潟県新潟市南区(旧西蒲原郡月潟村)を発祥とする郷土芸能である角兵衛獅子を題材とした地歌、長唄、常磐津、歌謡曲の楽曲。または日本舞踊の演目。
概略

嘉永年間以前から上方や江戸の市中に流行したらしく、これを題材として、まず天明の頃、大坂の勾当・峰崎勾当により手事物の地歌曲『越後獅子』が作曲された。同曲は器楽性にすぐれ、三味線の技巧が高度に追求された楽曲。これを元に江戸の9代目杵屋六左衛門が文化8年(1811年)、七変化舞踊『遅櫻手爾葉七文字』(おそざくら てにはの ななもじ)の伴奏曲の一つとして長唄に作曲し、3代目中村歌右衛門により中村座で初演された。また常磐津や清元に影響を与えている。さらにプッチーニの『蝶々夫人』にも旋律が引用されている[1]。
脚注
越後獅子と同じ種類の言葉
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