山川秀峰とは? わかりやすく解説

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山川秀峰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/29 18:14 UTC 版)

山川秀峰
本名 山川嘉雄
誕生日 1898年4月3日
出生地 京都府
死没年 (1944-12-29) 1944年12月29日(46歳没)
死没地 神奈川県二宮町
国籍 日本
運動・動向 青衿社
芸術分野 日本画美人画版画挿絵
教育 池上秀畝鏑木清方
影響を与えた
芸術家
蔦谷喜一[1]
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山川秀峰(やまかわ しゅうほう、明治31年〈1898年4月3日 - 昭和19年〈1944年12月29日[2])は、日本画家版画家。本名は嘉雄[2]美人画で知られる。

来歴

生い立ち

京都に生まれる[2]鏑木清方及び池上秀畝の門人[2]。まず秀畝に師事し花鳥画を学んだ後、1913年に清方に入門し美人画を学ぶ。

画家として

神奈川県中郡二宮町の自邸。吉田五十八により設計された

1927年、長沢小輔の美術社より新版画「婦女四題」連作4点を随時出版、1928年には『新興版画選』と題して「美人八佳選」の第1回分を川瀬巴水の「日本新八景」とともに出版している。また同年の第9回帝展には「安倍野」(培広庵コレクション)を出品して特選となり[2]1930年の第11回帝展には「大谷武子姫」を出品して再び特選に入選した[2]。1931年から帝展無鑑査[2]。ほかに渡辺版画店西宮書院からも新版画の美人画作品を発表しており、これらは当時の時代模様を写したモダンな美人画であった。秀峰は伊東深水寺島紫明と共に「清方門下三羽烏」と呼ばれた。

1936年には私刊により「をどり十題」を制作する。1939年に伊東深水たちと共に青衿会を設立し[2]、美人画の開拓に努めた[2]。最も清方の画風を受け継いでいたとみられるが、1944年12月29日に疎開先の神奈川県二宮町の別宅で死去[3]。墓所は大田区妙覚寺。

版画の作品は少ないが気品のある美人画を残した。代表作に「素踊」「序の舞」「羽根の禿」などがあげられる。木版画では「舞踊シリーズ」があり、そのうち、「さらし女」の構図が卓抜で印象的である。他には「赤い襟」「東京駅」「信濃路の女」なども優れている。また、雑誌『講談倶楽部』や『キング』の挿絵を描いている。

門人に五十嵐真穂、志村立美小林秀恒、武藤嘉亭がいる。作家の山川方夫は息子。

作品

日本画

作品名 技法 形状・員数 寸法(縦x横cm) 所有者 年代 落款・印章 備考
鷺娘 絹本着色 ホノルル美術館 1925年(大正14年)
花簪の女 絹本著色 額装1面 101x77 培広庵コレクション 大正末期[4]
絹本著色 四曲一隻 212.0x254.0 講談社野間記念館 1927年(昭和2年) 第8回帝展
安倍野 絹本著色 ニ曲一隻 234x222 培広庵コレクション 1928年(昭和3年) 第9回帝展特選。浄瑠璃芦屋道満大内鑑』に取材[4]
逝く春/銀鳩 紙本著色 二曲一双 佐久市立近代美術館 1929-31年(昭和4-6年)
序の舞 絹本著色 額装1面 181.5x127.0 東京国立近代美術館 1932年(昭和7年) 第13回帝展
山内一豊の妻 紙本著色 額装1面 151x181cm 神宮徴古館 1933-42年(昭和8-17年)[5]
弥生 絹本着色 城西大学水田美術館
三人の姉妹 絹本着色 四曲一隻 ホノルル美術館 1936年(昭和11年)

新版画

  • 「婦女四題」より 1.秋 木版多色・紙 美術社版 昭和2年(1927年) 東京国立近代美術館千葉市美術館ホノルル美術館所蔵
  • 「婦女四題」より 2.雪もよひ 木版多色・紙 美術社版 昭和2年 東京国立近代美術館、千葉市美術館所蔵
  • 「婦女四題」より 3.赤い襟 木版多色・紙 美術社版 昭和3年(1928年) 東京国立近代美術館所蔵
  • 「婦女四題」より 4.たそがれ 木版多色・紙 美術社版 昭和3年 東京国立近代美術館所蔵
  • 「布晒し」 木版画 昭和11年(1936年)
  • 「東京駅」 木版画 渡辺版 昭和17年(1942年)

ギャラリー

鷺娘

著書

  • 『青森案内』長谷川書林、1915年
  • 『古典舞踊を描く』(第1、2)古今堂、1937年

脚注

  1. ^ 蔦谷喜一について”. ぬりえ美術館. 2017年5月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年5月25日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i 山川秀峰”. www.tobunken.go.jp. 独立行政法人国立文化財機構東京文化財研究所. 2022年3月20日閲覧。
  3. ^ 『朝日新聞』 1945年1月16日
  4. ^ a b 加藤類子監修 『培広庵コレクション 「華麗な近代美人画の世界」図録』 アートシステム、2006年、pp.40-42。
  5. ^ 小堀桂一郎監修 所功編著 『名画にみる 國史の歩み』 近代出版社、2000年4月19日、p.55、ISBN 978-4-907816-00-1

参考文献

関連項目

ウィキメディア・コモンズには、山川秀峰に関するカテゴリがあります。

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