山川端夫とは? わかりやすく解説

山川端夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/14 05:16 UTC 版)

山川端夫

山川 端夫(やまかわ ただお、1873年明治6年)12月15日 - 1962年昭和37年)3月2日[1])は、日本の海軍外務官僚政治家国際法学者法学博士貴族院議員、法制局長官

経歴

長崎県出身。山川景範の長男として生まれる。長崎中学第五高等学校を経て、1898年(明治31年)7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業し大学院に進む。同年12月、文官高等試験に合格。1899年(明治32年)3月、海軍省に入り参事官に就任。その後、兼高等捕獲審検所事務官、兼鉄道院理事、海軍教官兼海軍省参事官、講和会議全権委員随員などを歴任。1919年(大正8年)4月、法学博士号を取得。

1920年(大正9年)4月、外務省に移り臨時平和条約事務局第1部長に就任し、さらに条約局長となる。1925年(大正14年)8月、加藤高明内閣の法制局長官となり、次の第1次若槻内閣でも留任し1927年4月まで在任。1926年(大正15年)12月7日、貴族院勅選議員に任命され[2]研究会に属し1946年(昭和21年)7月5日まで在任した[1][3][4]

1929年(昭和4年)11月、海軍会議全権委員随員となり、その他、外務省外交顧問、国家総動員機関設置準備委員会委員長、臨時法制審議会委員などを歴任。戦後、1946年9月から1950年(昭和25年)10月まで公職追放となった。

栄典

外国勲章佩用允許

著書

  • 『軍縮の為に新国防会議を興せ』国際聯盟協会、1929年。
  • 『倫敦海軍軍縮会議の成果』国際聯盟協会、1931年。
  • 『日支時局と国際聯盟』国際聯盟協会、1932年。

親族

脚注

  1. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』174頁。
  2. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、36頁。
  3. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、56頁。
  4. ^ 『官報』第5847号、昭和21年7月12日。
  5. ^ 『官報』第7091号・付録「叙任及辞令」1907年2月21日。
  6. ^ 『官報』第7994号「叙任及辞令」1910年2月18日。
  7. ^ 『官報』第2370号「叙任及辞令」1920年6月26日。
  8. ^ 『官報』第2431号「授爵・叙任及辞令」1920年9月8日。
  9. ^ 『官報』第29号「叙任及辞令」1927年2月3日。
  10. ^ 山川端夫『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]

参考文献

  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。
  • 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。

関連項目

外部リンク


公職
先代
塚本清治
法制局長官
第24代:1925 - 1927
次代
前田米蔵




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