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高橋通敏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/06 14:04 UTC 版)

高橋 通敏(たかはし みちとし、1914年大正3年)[1]3月18日 - 1989年平成元年)4月6日[2])は、日本外交官国際政治学者外交評論家位階正三位

経歴・概要

熊本県出身[2]。熊本士族・高橋守雄の二男[3]1933年昭和8年)旧制五高文科乙類[1]を経て、東京帝国大学法学部、ミュンヘン大学を卒業し[2]、その後外務省に入省する。

1957年(昭和32年)外務省条約局長。1960年(昭和35年)、参議院日米安全保障条約等特別委員会では政府委員として答弁に立ち、在日米軍に対して日米地位協定によって敢えて治外法権的立場を付与したと答弁した。1966年(昭和41年)スウェーデン駐箚特命全権大使外務省研修所長を経て、1970年(昭和45年)エジプト駐箚特命全権大使などを歴任した。

退官後は、1973年(昭和48年)から日本国際問題研究所理事長を務めた[4]。1984年勲二等旭日重光章受章[2]。1985年からは創価大学教授を務めた[2]

1989年、急性白血病のため死去[2]。叙正三位[5]

人物

国際政治や外交に関する著書、訳書も多い。父は警視総監高橋守雄[6]。妻は新田帯革製造所(現ニッタ)代表新田宗一の二女[6]

著作

著書

訳書

脚注

  1. ^ a b “五高の歴史~卒業生~熊本大学五高記念館”, 熊本大学五高記念館, http://www.goko.kumamoto-u.ac.jp/history9.html 2018年1月6日閲覧。 
  2. ^ a b c d e f 『現代物故者事典 1988~1990』(日外アソシエーツ、1993年)p.373
  3. ^ 『人事興信録 第7版』た105 - 106頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年5月25日閲覧。
  4. ^ “JIIA-日本国際問題拳研究所-沿革 歴代理事長・所長”, 日本国際問題研究所 
  5. ^ 官報平成1年本紙第85号 8頁
  6. ^ a b 『人事興信録 第14版 下』タ149頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年5月25日閲覧。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。

外部リンク

先代
島津久大
日本国際問題研究所理事長
5代:1973年-1977年
次代
大野勝巳



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