人物・芸風とは? わかりやすく解説

人物・芸風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/25 09:29 UTC 版)

米沢唯」の記事における「人物・芸風」の解説

竹内方針実家にはテレビがなく、小学校上がった頃は本の虫だった。朝食時には茶碗抱えながら本を読んでいたという。小学6年生ときにはバレエのほか、ピアノ長唄習っていた。 高校1年夏の時点バレエ練習時間は週に16時間。バレエ一筋となったのは2003年ローザンヌ出場した後で当時正月休まず365日練習していたという。 踊りはしばしば「伸びやか」と形容される。自身目標については「技術で終わるのではなく、中から生きているダンサーなりたい」と話していた。

※この「人物・芸風」の解説は、「米沢唯」の解説の一部です。
「人物・芸風」を含む「米沢唯」の記事については、「米沢唯」の概要を参照ください。


人物・芸風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 05:10 UTC 版)

Theかれー王」の記事における「人物・芸風」の解説

元々は役者志望していたが、芸人の道に。かつては浅井企画所属しており「The金子」の芸名活動していた。 『TVチャンピオン』(テレビ東京)の「カレー選手権」に出場第1回第3回優勝第2回同点決勝結果準優勝しているほどのカレー好き。テレビ雑誌などカレーに関するコメンテーターもしており、インスタントカレーのプロデュース行った。 現在[いつから?]、芸人傍ら五反田カレー専門店武蔵小山インド料理店をそれぞれ経営している。尚、武蔵小山店舗以前ゲームショップだった場所を閉店して改装したもので、現在も2階レンタルスペースがある。 マンション1棟の経営行なっており、料理店2店舗芸人収入併せて高年収は5000万円語っている。ただし、その時芸人年収1万円とのこと2010年山中企画所属。『山中企画ちゃんねる』(ニコニコ生放送)(毎週水曜19:00 - )に出演2014年に、山中企画芸能事業継承し、「ゴールデンチャイルドプロダクション」(社名金子総本店」)を設立。「スパイスシスターズ」のプロデュースなども引き継いでいる。 2015年11月29日に、自社所属タレントの永池南との結婚と、同日披露宴挙げたことを公表した

※この「人物・芸風」の解説は、「Theかれー王」の解説の一部です。
「人物・芸風」を含む「Theかれー王」の記事については、「Theかれー王」の概要を参照ください。


人物・芸風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 15:37 UTC 版)

もっぷん」の記事における「人物・芸風」の解説

芸風木村拓哉SMAP)に憧れ青年や、木村なりきるコントものまねなど。実写映画版「宇宙戦艦ヤマト」に主演した木村一瞬モノマネ話題となった見た目木村似ているが、声が三四郎小宮浩信になるなどして、喋ると全く似ていない。そのため、ものまね番組で声を出して木村ものまね披露したところ、「今まで見たキムタクものまねで一番似てない」と出演者から評価されたこともある。 近年では紙芝居形式ネタ自虐的なネタも多い)が主で、(ドラマHERO』(フジテレビ出演時の木村意識して)夏でもダウンジャケット着て演じている。ここで使われているイラスト友人漫画家描いてもらっているという(ネタ中にその話をしたことがある)。 また、島田ひでとし・よっしー・ジゴロー・スズケン(すいたんすいこうと共にSMAPそっくりさんユニットSCRAPとしても活動している。 マーナ工藤静香役)、みよこ(Cocomi役)、高田千尋Kōki,役)と共にものまねユニット木村ファミリー」を組んで活動している。 素人時代2004年)に、「マルチなあいつ!」(よみうりテレビ)の番組企画劇団ゆきひら鍋」(座長木村祐一)に参加しており、そのとき一員であったサブカル系作家中沢健親しく中沢主催するライブ製作した映画にも出演していたため、サブカル層にもファンが多い芸人である。 千葉県にある「菓子工房 プロヴァンス」というケーキ屋アルバイトをしていた時期があり、同店のTwitterでは、もっぷんシフトに入る日が公表されていた。

※この「人物・芸風」の解説は、「もっぷん」の解説の一部です。
「人物・芸風」を含む「もっぷん」の記事については、「もっぷん」の概要を参照ください。


人物・芸風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/20 15:34 UTC 版)

ギフト☆矢野」の記事における「人物・芸風」の解説

高校卒業後に東京アナウンス学院進学同学在学中2001年保育園時代からの幼馴染み永江弘和お笑いコンビ遊牧民」を結成。後にコンビ名を「ギフト」に改名ギフトと言うコンビ名は「笑いと言う名の贈り物と言う意味と「岐阜出身だから“岐阜人”」と言う意味を掛け合わせて名付けたワタナベエンターテインメント経て2005年ソニーミュージックアーティスツ移籍2007年7月ギフト解散解散して1ヶ月間は何もせずに江の島の海に行っていた。同年9月よりピン芸人として活動レミーのおいしいレストランを観て、劇中の「you have a gift (あなたに才能がある)」と言う会話から、ピン芸名ギフト☆矢野」と決めた。「ポップさ」を加味したく、芸名に「☆」を入れた2015年7月11日決勝が行われた「第6回 お笑いハーベスト大賞」にて優勝2016年毎月20本以上のライブ出演する特技習字毛筆5段)、長距離走。肌がやや黒くアルバイト先で自分芸人であることを隠していたため、肌の色からAV男優ではと言う噂が立ったこともある。 持ちネタは主にコント一人二役演じることが多い。「三文字オチ男」、「裏切りジョニー」、男性キャラ女性キャラ演じ分けるプロポーズ言い回し」等の持ちネタがある。近年では「コンコンガチャバーン!」という、客の“心の扉”を開けるという意味の決め台詞最初に発するのが定番となっている。 2020年10月1日歌手で元グラビアアイドル永作あいりとの入籍永作が自らのブログにて発表した

※この「人物・芸風」の解説は、「ギフト☆矢野」の解説の一部です。
「人物・芸風」を含む「ギフト☆矢野」の記事については、「ギフト☆矢野」の概要を参照ください。


人物・芸風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/26 10:12 UTC 版)

露の五郎兵衛」の記事における「人物・芸風」の解説

家族 次女:菅原早樹後述)の影響で、2003年10月26日に妻と共に洗礼受けたキリスト教徒であり、教会キリスト教テレビ伝道番組の『ハーベスト・タイム』等で落語講演おこなった信仰生活に関する著書上梓した(下記)ほか、次女との共作の「福音落語」(別名「神方噺(かみがたばなし)」)も演じた双子の娘がおり、そのうちの姉は女優落語家露のききょう。妹は一般人単立西宮北口聖書集会牧師菅原義久)と結婚。この娘婿滋賀県栗東市栗東キリスト教会牧師として赴任していた頃、五郎兵衛キリスト教徒になるきっかけ作った。姉のききょうも妹の影響キリスト教徒となっており、落語キリスト教ネタ取り入れた福音落語」を行なっている。 得意ネタ 前座時代初代桂春団治踏襲するなど爆笑派だった。やがて中国古典文学題材にとった『西遊記』水滸伝』などの新作落語や、『猿飛佐助』『淀川堤夢川竹』などの講談歌舞伎翻案手がけるようになり、長じる古典艶笑噺、怪談噺を得意とした。怪談は「怪談五郎」の異名をとるほど高く評された。艶笑噺については、小咄研究収集に関する複数著書を持つ。 音源が残る演目に、赤穂城断絶、あみだ池、浮世床、うなぎや、延陽伯近江屋丁稚正本芝居噺加賀見山真景累ヶ淵通し蛸坊主大丸屋騒動大名道具、筍手討鉄砲勇助猫の災難、ねずみの耳、初天神羽根突き深山隠れ村芝居、めがね屋盗人目薬の子守唄、戸田川夢八四谷怪談などがある。 若い頃から東京落語界との交流持ち落語協会客分となって定期的に東京寄席出演していた。2代目三遊亭百生(元は上方落語家で、師匠2代目春団治の兄弟子3代目桂梅團治名乗っていた)に私淑し大家8代目林家正蔵からも、芝居噺怪談噺いくつか授かっている。やがてそれら東京ネタ改作し上方もたらした2代目五郎時代より、『東の旅』の欠落していた部分(『鯉津栄之助』『天狗酒盛り』など)の復刻尽力した晩年五郎兵衛時代全篇演じ、またその名所を巡るという壮大な計画立てていた。 大阪仁輪加数少ない伝承者一人であり、2代目一輪亭花咲師事し2代目大阪屋町人」や「3代目一輪亭花咲」を襲名した一輪亭花咲名跡は、のちに弟子露の団四郎譲り、自ら初代露の五郎兵衛晩年名乗った一寸 露休」(ちょっと ろきゅう)を「一寸 露久」という字で襲名した。「久」を用いたのは、「休」を用いて引退する勘違いされるのを避けたためという。

※この「人物・芸風」の解説は、「露の五郎兵衛」の解説の一部です。
「人物・芸風」を含む「露の五郎兵衛」の記事については、「露の五郎兵衛」の概要を参照ください。


人物・芸風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 03:06 UTC 版)

中村又五郎 (2代目)」の記事における「人物・芸風」の解説

小柄な体つき奥ゆかしい性格のために役の上では必ずしも恵まれたとはいえないが、脇役徹し主役みごとに立て行儀のよさがあった。それでいながら一度立役として出れば重厚にして軽妙瀟洒としかいいようのない芸を見せて観客満足させる役者ぶりも兼ねそなえた名人だった。まず吉右衛門のもとで女方としての修行積み、つぎに若衆方をも兼ねさらには年齢とともに時代物世話物問わない脇役から、特に老役花車方、婆役などにまで芸域広げた初代右衛門薫陶を受け、劇団ができてからは八代目松本幸四郎十七代目中村勘三郎六代目中村歌右衛門個性の強い役者たちのあいだにあってよき調整役を、また舞台の上では優れた脇役勤めてきた。国立劇場歌舞伎俳優養成事業主任講師俳優協会における財務関係の理事などを長く続け社会活動の上でも優れた手腕発揮し歌舞伎全体発展見据えて着実な努力続け縁の下の力持ちとしての役割大きかった一時養子にしたい」と初代右衛門言い、「見込みがあるから俺のところへあずけないか」と六代目尾上菊五郎申し出たことをみても、彼の力量窺い知ることができる。六代目五郎は又五郎に手をとって『義経千本桜』「木の実」の小金吾を教え、その出来栄え満足して「次は俺が長兵衛つきあって、幸雄に白井権八(『御存鈴ヶ森』)をやらせたい」とまで言ったという。これは五郎死去によって実現しなかったが、あまりものごとにこだわらない五郎にとって唯一の心残り語っていた。 このように立役においては六代目五郎から有形無形影響受けたと又五郎語っており、まさしく時代申し子とでもいうべき役者だった。そうした背景から、九代目松本幸四郎二代目中村吉右衛門十八代目中村勘三郎など、若い役者への芸の継承情熱注ぎ、「斯界お師匠番」と呼ばれた

※この「人物・芸風」の解説は、「中村又五郎 (2代目)」の解説の一部です。
「人物・芸風」を含む「中村又五郎 (2代目)」の記事については、「中村又五郎 (2代目)」の概要を参照ください。


人物・芸風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/07 23:15 UTC 版)

ムッシュ・ピエール」の記事における「人物・芸風」の解説

大阪大学入学当日奇術研究会に入会大阪のマジック・バー「バーノンズバー」で出会ったマジシャンルビー天禄弟子入りし現在の芸名風貌キャラクター確立されるステージマジックテーブルマジック流行メンタルマジックなど多彩なジャンルマジックをこなしマジシャンとしての確かな技術を持つ一方でムースぴっちり固めた髪形に、マーカー書いた口髭風貌登場随所で「〜ざます」「トレびあ〜ん!」「ピエピエ」などの決め台詞演出された、奇抜なキャラクター世間耳目を集める。 『笑っていいとも』『うたばん』『田舎に泊まろう』『クイズ雑学王』『世界仰天ニュース『火曜サプライズ』ダウンタウンDX』などのテレビ番組出演し続けている。

※この「人物・芸風」の解説は、「ムッシュ・ピエール」の解説の一部です。
「人物・芸風」を含む「ムッシュ・ピエール」の記事については、「ムッシュ・ピエール」の概要を参照ください。


人物・芸風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 08:18 UTC 版)

大門与作」の記事における「人物・芸風」の解説

ピン芸人の時は、「オーゲー」と叫ぶギャグを主に使う。 丸刈り頭で、なおかつ髪が薄いことが特徴であり、これをネタにも取り入れことがある。 『モバタレGREAT』では『COUNT DOWN TV』(TBSテレビ)のパロディで、ギャグカウントダウン形式演じる「KYTV」(KYOU NO YOSAKU(今日与作TV)のネタ披露した趣味プロレス2010年からの一時期、同じ事務所に所属していた鳥居孝行とのコンビ大門鳥居』での活動もしていたが、鳥居サンミュージックプロダクション移籍したことにより、コンビ解消

※この「人物・芸風」の解説は、「大門与作」の解説の一部です。
「人物・芸風」を含む「大門与作」の記事については、「大門与作」の概要を参照ください。


人物・芸風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 01:57 UTC 版)

「しんじ」の記事における「人物・芸風」の解説

独身血液型AB型熊本県八代市千丁町出身趣味暴れること。 特技は「県庁所在地がすぐ言える」。 私生活では清掃アルバイト1994年から続けている。アルバイト先でのニックネームは「くわまんギャグ口癖)は、「お前を食ってやろうか!」「人間食べたい」。 ボサボサ長髪掻きむしり、「ギャァァ!!」と奇声発する趣味プロレス観戦。

※この「人物・芸風」の解説は、「しんじ」の解説の一部です。
「人物・芸風」を含む「しんじ」の記事については、「しんじ」の概要を参照ください。


人物・芸風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/15 08:32 UTC 版)

尾上松助 (5代目)」の記事における「人物・芸風」の解説

本人談話によれば父方祖父鶴澤市作という義太夫三味線方で、上方から東京来て歌舞伎竹本中心的人物となっていたほか、父もその道詳しく五代目五郎から一目置かれていたため、尾上として音羽屋一門入った松助大部屋俳優扱いになったことに激怒したという。また1937年死亡した長兄柳橋老舗料亭亀清主人であったが、松助自身も「末吉」や「美佐保」という名前の待合経営した木下笑風媒酌結婚した妻との間には二人の娘がおり、息子はいなかった。 几帳面神経質な人格であり、また「決し野心出さず寧ろ世間からは歯掻ゆがられる程、平々凡々」だった。従って脇役徹しながら芸歴長くなっていくにつれ芸の中にどことなく枯淡な味」が出て来先代松助彷彿とさせるということ襲名へと繋がったが、本人はその真面目さ几帳面さ故に襲名後「「名と役」の釣あいが取れぬ事を不満に思い松助の名に対して相済まぬ」と思い悩んでたようだったという。 師匠である六代目五郎に対して真正面から物事述べ生真面目さと気骨があり、七代目尾上梅幸松助について「白は白、黒は黒とはっきりさせ、けっしておべんちゃらいわなかった」とし、父五郎の方も「うるさ型であっても実力があり、筋のとおっている福島さん」を重宝していたと回顧する梅幸具体的なエピソードとして以下の二つ記している。『道成寺』において太って見えることを気にしていた五郎痩せて見えるかと聞かれ、「イヤ、ちっとも痩せて見えませんね、相変わらずムクムク太って見えるね」と答えた。 『髪結新三』で吉右衛門による源七演技を「臭い芝居」とする五郎同意求められた際、「播磨屋やっぱりうまいですよ、あの源七があってこそ旦那新三生きるんだ」と返し、これを聞いた五郎自分に逆らうのかと問い詰めたところ「さからうわけじゃあないが、播磨屋はうまいと思うからうまいというんだ」と折れなかったため、五郎の方が話題変えてしまった。 七代目尾上梅幸はさらに晩年逸話として、『魚屋宗五郎』の三吉演じていた際、六代目五郎から「三吉じじい」とからかわれたために二代目尾上松緑にその型を丁重に教え自身二度と三吉の役をつとめなかったことを書いている。 句人としての方が有名で、「文学俳優」などと呼ばれたほか、新聞や雑誌では「虚子門の俳人甲羽」と紹介されたと自身言っているが、役者の間でも指南役買って出六代目五郎でさえ甲羽の添削をあてにしていたという。また俳諧のために非常な勉強家読書家でもあり、時代ゴシップとして、役者として珍しく文学趣味のある所を気に入った五代目五郎の妾の秋田ぎんが娘(六代目五郎六代目坂東彦三郎の妹にあたる)の相手として考えていた話が残っている。加えて競馬にも明るくこの方面でも六代目五郎師匠となっていたが、六代目五郎馬主になってからは義理でその馬券を買い、損していたと追悼記事語られている。 役者として当たり役伊三郎時代が『義経腰越状』の泉三郎、『復讐談高田馬場』の安兵衛など「殊に敵役適せり」とされていたが、七代目梅幸は『髪結新三』の勝奴、『新皿屋舗月雨暈』の三吉、『文七元結』の藤助や『巷談宵宮雨』の石見銀山売りといった役を挙げている。このほか、1936年12月の『人情噺小判一両』でつとめた紙凧売は吉右衛門五郎互角芝居であった絶賛された。

※この「人物・芸風」の解説は、「尾上松助 (5代目)」の解説の一部です。
「人物・芸風」を含む「尾上松助 (5代目)」の記事については、「尾上松助 (5代目)」の概要を参照ください。


人物・芸風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 22:28 UTC 版)

清水けんじ」の記事における「人物・芸風」の解説

基本的にツッコミ専門ボケに対して鋭い反応見せる。 内場勝則座長公演川畑泰史座長公演では借金取りヤクザなど悪役として登場することも多い一方すっちー座長公演では舞台回しとしてストーリー進行役を務めつつ、彼が扮するすち子振り回されることが多い。清水曰く新喜劇魅力は「コケ」であり、ギャグ滑った失敗した、受けなかった)時でも「全員一斉にコケてくれたら面白く見えるので不思議です」とのことである。 本人曰く「地味」。また、冒険できないタイプでもあり、「そつなくという感じ」であるとのこと麒麟田村裕実兄コンビ組んでいたことがある趣味バス・フィッシングツーリング共演者とじゃれ合いになる時、二回ほど互いに突き合った後で最後に連続ビンタ繰り出すすっちーとの共演時には薄くて特徴乏し顔立ちを「シケメン」とイジられるのがお約束となっている。「シッケシケで洗濯物乾かない」などと言いがかりを付けられ、「天才バカボン」の替え歌で「シーケ、メンメン」と唄われる。同様に小籔千豊からは「(特徴がない)顔だけ見たら(行事の無い)6月」と例えられている。また、内場勝則烏川耕一からは一度だけだが「冷奴(何も乗っていない)」「のっぺらぼう」と言われた。 2018年より「おしみばあさんと言う新キャラ多く登場

※この「人物・芸風」の解説は、「清水けんじ」の解説の一部です。
「人物・芸風」を含む「清水けんじ」の記事については、「清水けんじ」の概要を参照ください。


人物・芸風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 03:03 UTC 版)

尾上松助 (4代目)」の記事における「人物・芸風」の解説

研究熱心で明治26年1893年)『髪結新三』の家主初めつとめた際、劇評家三木竹二酷評されたことに発奮、人にこの役を初演した三代目中村仲蔵舞台思い出しもらっては、気のついたところどころ走り書き台帳書き込む努力重ねて役柄自分のものにして、大正4年1915年)に同じ役をつとめた時は辛口劇評家岡鬼太郎からこんどは絶賛された。 世話物はほとんど化粧をせずに素顔舞台立った。声は普段小さかったが、いざ舞台上がると実によい味を出していた。「型のない世話物のやうな芝居は、時の味でみせなけりゃァなりませんから、ちっとだって、意気を抜くことなんて事ァ出来やしません」(邦枝完二松助芸談』)という本人言葉には、その芝居対す姿勢凝縮されている。 晩年、『因果小僧』の小兵衛を演じた時、三宅周太郎から「写実というような世界から出て内面的な人生辛酸をなめ尽くした幕末の、一老爺うきぼり人間像」、高安月郊から「苦い実生活の盃を呑み残してまで残る浮世渋味・・・涙も涸れた憐みの痛さ、やさしいばかりの親より何という酷な情」とそれぞれ激賞され世話物狂言真髄最後まで見せていた。 ハイカラなところがあり、楽屋ではいつもナイフフォーク使って洋食食べていた。実際松助楽屋化粧箱には、眉引きの筆一本ナイフフォークのみが入っていたという。

※この「人物・芸風」の解説は、「尾上松助 (4代目)」の解説の一部です。
「人物・芸風」を含む「尾上松助 (4代目)」の記事については、「尾上松助 (4代目)」の概要を参照ください。


人物・芸風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 04:44 UTC 版)

マリッジスターこうもと」の記事における「人物・芸風」の解説

ジーンズを手を使わずにはくこと以外では、全ての国の首都国旗暗記しているという芸がある。 特技テレビゲームで、『スーパーマリオシリーズに関しては、ほぼ全てのソフトをノーミスクリア出来る程の腕前また、ゲーム知識量も膨大であり、自身ネタ取り入れる事が多々ある誰も知らないようなインディーズ芸人知っていたり、各プロダクション養成所NSCJCAなど)の卒業生データ作成記憶している等、相当なお笑いマニアである。 お笑い賞レース一回戦からなるべく観戦し独自に傾向と対策をたて研究するようにしている。 物真似披露することが多くレパートリーには、江頭2:50フットボールアワー岩尾望小島よしお出川哲朗ボビー・オロゴンスギちゃんもう中学生さまぁ〜ず大竹一樹三村マサカズ)、穴子さんとマスオさんサザエさん)、三河屋さん(サザエさん)、中島君(サザエさん)、花輪君(ちびまる子ちゃん)、ベジータドラゴンボール)、ムスカ天空の城ラピュタ)、サバンナ高橋ブラックマヨネーズ吉田ケンドーコバヤシ世界ヘイポー栗原類ピース綾部平成ノブシコブシ吉村南海キャンディーズ山里オードリー春日俊彰、オリエンタルラジオ藤森慎吾三四郎小宮浩信アントニオ猪木アニマル浜口天龍源一郎高田延彦高田純次西田敏行藤岡弘、中尾彬水谷豊吉幾三美川憲一槇原敬之福山雅治堂本剛山崎まさよし旅番組ナレーション古谷徹の声のキャラクター若本規夫の声のキャラクターガチャピン、ムックふなっしーバッドナイス常田トレンディエンジェル斎藤司、コロコロチキチキペッパーズナダル、湘南デストラーデ岡本亮虹の黄昏などがある。ブリッジとして、様々なアクションをつけながら「ハーイマリッジ!」「ハーイネクスト!」「イェスイェス!」と言うものがある。 モノマネはじめたきっかけは、東京来てから古賀シュウ見て面白かったからである。 精力的に都内お笑いライブ出演している、自身でもお笑いライブ主催することも多々あり、お笑いライブ好きである フリップネタには、オリジナルアルファベット略語ツッコミ入れるものや、カラオケ歌詞本タイトル名ツッコミ入れるものもある。 一人ショートコントネタには、最初にオチ一言宣言して、そのフレーズで終わるスタイルのものもある。 以前から使用していたブリッジに「ハーイネクスト!」があるが、厚切りジェイソンがR-1決勝使用したため、現在は使用見合わせている。 桃太郎登場人物を有名お笑い芸能人再現する一人コントがある。 Youtube始めてからのモノマネにはお笑い系だと、マヂカルラブリー野田クリスタル村上。ぺこぱの松陰寺太勇がある。

※この「人物・芸風」の解説は、「マリッジスターこうもと」の解説の一部です。
「人物・芸風」を含む「マリッジスターこうもと」の記事については、「マリッジスターこうもと」の概要を参照ください。


人物・芸風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 20:15 UTC 版)

馬王」の記事における「人物・芸風」の解説

芸名の由来は昔のチャットネームに由来。その名の通り競馬が得意で3年JRAイベント競馬教室)で講師として従事しCSグリーンチャンネルコーナー務めていた。 エフエム浦安8年冠番組持っていたが、その最終回生放送大泣き局長を困らせた事は「馬の漢泣き」として言い伝えられている。現在はネットラジオ局(ちょあへよ.com)にて『馬王デモ可』と言う番組やっている競馬予想で全12R的中達成した事がある。 「馬王会」という馬王を囲む競馬会ソニーにはあり、第一回ライブ70倍超の予想的中させ、そのライブ全体100万円以上の儲け出した諸葛亮孔明扮装しショートコントをやった後レディ・ガガの曲に合わせて踊るキャラ芸や、上手い事を言った後にニヤリと笑う「したり笑いの時間」等のネタがある。 基本ツッコミであるのだが、その「間違ったツッコミ」はもはや持ち味となっている。 とにかくスベるが「鋼のハート」は折れる事が無い。 バイトをすると必ず出世するらしい。 エコギャング時代カンフー服姿で一言ネタを言う「一撃コント」というネタや、ギャング格好をして演じコントデキるボス」と「ダメボス」の対比ネタなどをやっていた。 競馬芸人として「競馬詳しくない人でも楽しめる競馬」というネタをしている。 和柄好み服装派手な柄が多い。

※この「人物・芸風」の解説は、「馬王」の解説の一部です。
「人物・芸風」を含む「馬王」の記事については、「馬王」の概要を参照ください。


人物・芸風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 03:25 UTC 版)

こじま観光」の記事における「人物・芸風」の解説

JTB社員というキャリアで旅にまつわる漫談フリップ芸コントを行う。コンビ時代ユニットではコントメインに行う。アイルランド留学経験があり、英語が堪能だが本人曰くアイルランド訛りが強い。 埼玉西武ライオンズ熱狂的ファンであり、よく球場試合観戦している。サッカー浦和レッズの熱心なサポーターである。「埼玉愛の塊」を自称しており、埼玉県にしては郷土愛が強い。

※この「人物・芸風」の解説は、「こじま観光」の解説の一部です。
「人物・芸風」を含む「こじま観光」の記事については、「こじま観光」の概要を参照ください。


人物・芸風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 23:18 UTC 版)

ひのひかり智」の記事における「人物・芸風」の解説

2000年8月、現事務所所属滑舌が悪いところがある。 九州農業高校通っていたが、8割がヤンキーだったらしく、いじめられていたという。 彼の田んぼではアイガモ農法無農薬の米を作っている。田植え稲刈り農作業のため6月~11月芸人休業する普通自動車免許農業科教員免許持っている持ちネタお米題材とした漫談ショートコント第3回爆笑ピンクカーペット新春ゴールデンピンクカーペット出演し、「お米売り少女」というネタ出演したまた、その時も彼は自分田んぼで獲れた米を小道具として使用していた。さらに、ネタ使用する小道具自分の畑で毎年新しく収穫した作物使用している。 最初本名活動していたが、後に現芸名改名。 ・令和4年7月23日平井堅さんのモノマネが出4年7月23ことを、先輩芸人おたこぷーYouTubeチャンネルおたこぷーChildren」で披露した

※この「人物・芸風」の解説は、「ひのひかり智」の解説の一部です。
「人物・芸風」を含む「ひのひかり智」の記事については、「ひのひかり智」の概要を参照ください。


人物・芸風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 02:03 UTC 版)

大森章督」の記事における「人物・芸風」の解説

大東文化大学卒業。 主にバラエティ番組ナレーション担当している。僧侶から声優転身したデビュー当初青二プロダクション在籍し1993年シグマ・セブン移籍2004年よりフリーとなり、2008年までオフィス・ワット所属していた。2009年よりアクセント所属趣味スキーギター弾き語り読経

※この「人物・芸風」の解説は、「大森章督」の解説の一部です。
「人物・芸風」を含む「大森章督」の記事については、「大森章督」の概要を参照ください。


人物・芸風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 23:34 UTC 版)

ヒロミ」の記事における「人物・芸風」の解説

若手時代から、MC番組冠番組任されており、現在でも司会者として多く番組持っているお笑い第三世代ブーム時に関東代表的な芸人1人芸風先輩芸人タレントにもタメ口呼び捨て愛称、ちゃん付け などの尊大かつ上下関係礼儀一切考慮しないように接す芸風特徴大物にも容赦ない言動強烈なツッコミを行うスタイル注目浴びた芸能活動再開後持ち前トーク力毒舌中に優しさ後輩たちへの男気がある芸風となっている。 芸能界では、木梨憲武藤井フミヤとは公私ともに家族ぐるみで非常に仲が良く「憲ちゃん」、「フミ」と呼ぶ程である。互い親友親戚語っている。 ジャニーズ番組MC担当してた事もあり、8時だJ共演したジャニーズアイランド社長滝沢秀明棟梁慕われて、元SMAP中居正広TOKIO松岡昌宏などもヒロミ喋り方やトーク真似しており、兄貴師匠呼び、最も憧れた存在ヒロミ挙げている。AKBにも携わっており秋元康とも仲が良い八王子出身者からも慕われ八王子会を定期的に開催している。 DIY日本のお茶の間に大きく広めた。元々手先が器用で家具部屋リノベーションリフォームは得意である。その能力生かして番組芸能人らが住む部屋デザイン改修を手がけたりその指導をしている。2017年の『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』では、銚子電鉄本銚子駅リフォーム手掛けた子供たち施設など改修している。 非常に多趣味として有名であり、射撃DIYアウトドアゴルフマリンスポーツレーシングドライバーバイクなど。所持ライセンス多く小型2級船舶特殊船免許カリフォルニア州自動車免許、銃所持許可証大型自動二輪スカイダイビング2級ライセンススノーボード検定2級、スキューバーダイビングオープンウォーター、ライフセーバーライセンスと多彩火傷事件リハビリのために始めたものが多いことは知られていない愛妻家として有名である。 子役新人タレントなどには親切であり、芸能界にデビューしたてだった水野裕子は初レギュラーだった番組世話になったことから、恩人としている。鈴木紗理奈デビュー当時誰も知らない自分ネタ振ってもらい、大恩人と語っている。天津木村仕事が無いと困っていた所、専属運転手として雇って番組呼んだりもしている。 元暴走族八王子スペクター所属していた)で、本人過去の出来事を話すなど、それをよくネタにしている。恐喝などの話をネタにすることが多かったブラックエンペラー宇梶剛士芸能界入りしたことに非常に驚いた語っている。詳細彼のリンクを参照

※この「人物・芸風」の解説は、「ヒロミ」の解説の一部です。
「人物・芸風」を含む「ヒロミ」の記事については、「ヒロミ」の概要を参照ください。


人物・芸風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 09:04 UTC 版)

鬼頭真也」の記事における「人物・芸風」の解説

実家が寺であり、僧侶として寺で修業した経験がある。 短く本の紹介をするという芸風で『R-1ぐらんぷり2009』に決勝進出した(7位)。

※この「人物・芸風」の解説は、「鬼頭真也」の解説の一部です。
「人物・芸風」を含む「鬼頭真也」の記事については、「鬼頭真也」の概要を参照ください。


人物・芸風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 08:25 UTC 版)

市川團十郎 (5代目)」の記事における「人物・芸風」の解説

細工をしないおおらかな芸風で、荒事の他、実悪女形など様々な役柄をつとめ分け東夷南蛮・北西戎四夷八荒天地乾坤」の間にある名人評された。どんな役でもくさらずに懸命につとめ、生活面真面目で、多くの人たちから尊敬され戯場君子」とまで呼ばれた文才もあり松尾芭蕉作風慕って俳諧をよくし、また花道のつらねの名で狂歌詠み立川焉馬大田蜀山人当時一流文化人との交流持ち堺町連という狂歌師グループ形成した。『狂歌友なし猿』、『市川白猿集』など著書多数ある。18世紀後半における江戸歌舞伎黄金時代作り上げた名優であった

※この「人物・芸風」の解説は、「市川團十郎 (5代目)」の解説の一部です。
「人物・芸風」を含む「市川團十郎 (5代目)」の記事については、「市川團十郎 (5代目)」の概要を参照ください。


人物・芸風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 10:09 UTC 版)

守田勘彌 (11代目)」の記事における「人物・芸風」の解説

天保年間から中風悩まされ晩年はほとんど半身不随になっていたにもかかわらず舞台にはヨイショヨイショと上がり続けたので「ヨイ三津」とあだ名されて親しまれた。 大柄細面、鼻が高く風貌にすぐれ、和事本領としたが、殊に生世話物に妙を得て軽妙な口跡と仕内は天下一品といわれた。機知富み文才もあり、俳諧にも通じていたという。 実兄落語家初代金原亭馬生

※この「人物・芸風」の解説は、「守田勘彌 (11代目)」の解説の一部です。
「人物・芸風」を含む「守田勘彌 (11代目)」の記事については、「守田勘彌 (11代目)」の概要を参照ください。


人物・芸風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 18:11 UTC 版)

パーティ内山」の記事における「人物・芸風」の解説

フリーペーパー集めジャージ集めももクロ鑑賞アメコミ映画鑑賞趣味松浦亜弥ファンになって以来アイドル鑑賞趣味になる。 「行列のできる法律相談所」に本村弁護士役で再現Vに出るなど容姿似ている。 同じ高校時代同級生ジンカーズ樋口がいた。 大学時代半年間はオーストラリア留学していた。 子供の頃高田純次のその自由な雰囲気憧れ漠然とお笑いやりたい思っていたが、大学3年生の頃にお笑いの道に進むことを決意する2005年スクールJCA14期生として入学し卒業後はプロダクション人力舎所属デビューしてしばらくは一人コントをやっており、芸風先生ネタSPネタ高校バスケット漫談などをやっていた。 M-1グランプリ2007にはゆってぃさとうゆうすけと共にトリオカレー一門」として出場する一回戦敗退2009年4月末に所属事務所退社その後フリーフラットファイヴでの活動経て2010年7月1日からグレープカンパニー所属2011年頃から路線変更しヒット曲歌詞をいじるネタマニアックフリーペーパーネタにして(2013年6月2日放送笑っていいとも!増刊号では「史上初のフリーペーパー芸人」として特集された)の漫談などの持ちネタがある。フリーペーパー1カ月200誌は読んでいるという。 R-1ぐらんぷり2012にて、準々決勝進出。 「ウケウリ!!内の企画Denny's ハンバーグハンターズとして中野風女シスターズ喜屋武ちあきチーム組みデニーズハンバーグ食べ歩いてtwitterPRした。 2016年12月23日一般女性結婚2017年11月より、年齢が公式には非公開となる。 2022年2月25日自身公式Twitterアカウント及びYouTubeチャンネルにて、芸人引退した事を発表した

※この「人物・芸風」の解説は、「パーティ内山」の解説の一部です。
「人物・芸風」を含む「パーティ内山」の記事については、「パーティ内山」の概要を参照ください。


人物・芸風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 05:03 UTC 版)

坂東三津五郎 (9代目)」の記事における「人物・芸風」の解説

先代八代目三津五郎同様、敵役老役を得意としており、芝居では『石切梶原』の六郎太夫、『源氏店』の蝙蝠安など脇役として舞台引き締め踊りでは『舌出三番叟』、『喜撰』、『越後獅子』などが知られていた。 舞踊家としても自主公演「登舞の会」を主催し流祖三代目初演作品復活上演などを行っている。

※この「人物・芸風」の解説は、「坂東三津五郎 (9代目)」の解説の一部です。
「人物・芸風」を含む「坂東三津五郎 (9代目)」の記事については、「坂東三津五郎 (9代目)」の概要を参照ください。


人物・芸風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 06:20 UTC 版)

中村鴈治郎 (初代)」の記事における「人物・芸風」の解説

師匠の延若と尊敬する中村宗十郎九代目市川團十郎の芸をそれぞれ吸収し上方役者らしい華やか柔らかみのある芸風知られた。ただし残されているレコードではかなりのだみ声である。門人中村之助が「力ある声でした……なにしろ中座三階居って、声が聞こえてくるのは師匠けでした」と述懐しているように、外見違って力強さがあった。口上などで「ついでながら、この厄介な治郎めもよろしくごひいきのほどを」と愛敬ある目つき述べると劇場どよめき舞台共にする他の者が霞んでしまうほどだった。 治郎の芸の特色一つ色気のある眼が挙げられる。特に和事になるとその眼遣い最大武器になった志賀直哉治郎の目について「無邪気愛嬌がある。いくら偉そうな眼つきをしてみても、その色は隠されない」といい、和事役に適していても忠臣蔵由良助では違和感があったと評している。当然、ライバル後輩にも意識され治郎が没した時に二代目延若が「あの眼、形見欲しおますわ。」とつぶやいたほどであった。この目遣い息子二代目治郎や養子長谷川一夫継承された。 また絶え役柄研究怠らず時として助六』や『伽羅先代萩』の政岡などの仁に会わない役に挑戦して失敗したり、芸が過剰に陥って「しつこすぎる」と非難される欠点はあったものの、サービス精神旺盛で、観客をどう喜ばせる絶え創意工夫し、いったん舞台出た揚幕引っ込むまで形を崩さなかった。その熱心なさまは、『傾城反魂香』で、治郎の又平女房相方務めた三代目中村梅玉は「(治郎が)身も心もその人になったつもりで、カーッとなって芝居をしているため、その又平ねじふせるのに大変な力が要る。いつもヘトヘトになった」と述懐その他にも、政岡つとめた時などは凄み見せ付けるあまり女形であることを忘れて地声科白廻して舞台を共にした弟子中村魁車から「親方、男になってまっせ」と注意されたという逸話など残されている。 同じ役柄でも毎日同じ型では務めなかった。どうやったらいいか絶え工夫し舞台でもほとんど即興科白や型を変えてしまう。だが、梅玉、魁車、延若、中車など相方務めることの多い役者その都度臨機応変合わせていた。それでも馴れない役者時折合わせられなくなると、治郎は「大根!」と大声怒鳴りつけて周囲当惑させた。 酒が飲めない治郎だったが、渡辺霞亭作『椀久末松山』で主人公久兵衛酒乱務めることになった困った治郎は酒好き役者自宅招きさんざんに飲ませた果して泥酔のあまり家の中ひっくり返すが、治郎一言言わず冷静に観察し、そのさまをそのまま舞台で再現して喝采浴びたこのように、芸に対す積極的な姿勢晩年続いたが、舞台でトンボを切る(宙返りをする)と言い出して周囲をあわてさせ、関係者から強い説得受けてようやく撤回したこともあった。最後の舞台でも、病気体力弱っているのにもかかわらずアホか!治郎ともあろう者が軽い鎧来て出られるか」と、あえて重い鎧で三浦之介を務めた。暇さえあれば、他の俳優舞台当時新しかった映画進んで見に行くなど研究熱心で、ドイツ俳優エミール・ヤニングス演技感心し、その映画翻案物をやったこともある。得意の『時雨の炬燵』を務めたときは「……いつも同じ事を御覧居れては相済まんことで、何か変わった手を……と考えてますが、かう極まった狂言は、どうも手の入れようおまへん」とこぼしている。二代目實川延若は、舞台稽古のとき、治郎が自分もとより相手台詞まですべて暗記し、「河内屋あんさん科白違ごてるで」とわざわざ注意してくれたことに感心している。よく相方務めた七代目市川中車は、治郎は毎日やり方が違うが、そのたび良くなっており、手を抜かずに工夫する姿勢感心したという。偉大な業績陰には、常日頃から怠らない修練があった。 四六時中芝居の事ばかり考えていたので、趣味もなかった。一般常識世事疎く洋行の話が出たとき、世界地図広げて大阪からロンドンまでの距離を定規で測り「とても遠くて行けん」と言ったり、「イギリスロンドンはどっちが遠いんや」と真顔尋ねたり大阪市内天下茶屋に話が及んだ時「あこ、まだ行燈やろ」と答えたりしている。それが、無邪気いかにも治郎らしいと人々から思われた。 私生活では周囲気を配り来客には笑顔で「これおいしあすで。」と到来物御馳走するなどの愛嬌振りまいて人望集めたが、若い頃負けず嫌いの癖のある性格で、東京へ初めて出る際、自分の場所に「新駒」と張り紙をされているのに激怒し大阪もんや思て馬鹿にすな!」と関係者怒鳴り込んだ。このときは九代目團十郎とりなし収まったが、その團十郎も「あいつは立派な金魚だ。見てくれはいいんだが食えねえやつだ」とあくの強さ呆れたという。十一代目片岡仁左衛門ともよく衝突し若い頃忠臣蔵五段目治郎の定九郎仁左衛門勘平務めたとき、定九郎倒れている位置巡って喧嘩をしたり、晩年の、大阪五代目中村歌右衛門加えての3人の舞台でも、険悪な雰囲気だったという。気骨もあり『藤十郎の恋』が上演された際には、不義内容とすることから官憲から即上演禁止命令出されたが、それでも「わてが牢屋入ったらええねやろ」と頑として応じようとしなかった。 白塗り二枚目和事、特に近松ものを中心としたつころばし人気高かったが、一方で新作ものや上方独自の芝居丸本歌舞伎も得意とし、当り役多かった晩年に当り役を撰じで「玩辞楼十二曲」と定めた。ほかの当り役は、『伊賀越道中双六』(沼津)の呉服屋十兵衛、『一谷嫩軍記』「熊谷陣屋」の熊谷直実、『絵本太功記』「尼ケ崎」の武智次郎、『菅原伝授手習鑑』「道明寺」の菅丞相、「寺子屋」の武部源蔵、『仮名手本忠臣蔵六段目」の早野勘平、「三段目」と「七段目」の大星由良助、『梶原平三誉石切』(石切梶原)の梶原平三、『南総里見八犬伝』の犬山道節、『近江源氏先陣館』「盛綱陣屋」の佐々木盛綱、『義経千本桜』「すし屋」のいがみの権太、『楼門五三桐』「山門」の真柴久吉などがある。 六代目尾上菊五郎と『寺子屋』で、五郎松王治郎が源蔵務めたが、治郎がこのときは普段よりも一層の熱が入って大汗をかいた。一方五郎は『土屋主税』で、治郎の主税大高源吾相方したが、その後治郎について「本当土屋主税対面したような気分です」と賞賛している。 金光教の非常に熱心な信者で、一門をあげて信仰した。

※この「人物・芸風」の解説は、「中村鴈治郎 (初代)」の解説の一部です。
「人物・芸風」を含む「中村鴈治郎 (初代)」の記事については、「中村鴈治郎 (初代)」の概要を参照ください。


人物・芸風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 16:00 UTC 版)

梅島昇」の記事における「人物・芸風」の解説

伊井蓉峰のあとを継ぐ古典芸風持ち二枚目俳優重鎮として扱われた。舞台の外での梅島は、良く言えば個性強く生来熱血漢であったが、我儘で、しかも過剰に偽悪的に振る舞いがちで、あくが強い一匹狼的な存在で、どこに行って衝突することが多かったと言われる喜劇俳優古川ロッパ梅島ファンであり、親交深く彼の日記著書幾度となく梅島登場するロッパは度々梅島から演技教えも受け、梅島の独特の声回し声帯模写レパートリーとしていた。私生活での梅島は、大変なおしゃべりであったとも語っている。 またその日記の中で、俳優としての梅島を「一番の二枚目俳優」と評している。 梅島花柳章太郎数多く共演したが、不仲であったと言われている。しかし1930年代当時舞台映画超えた本格的な活動タブー視されていた中、花柳映画にも活動広げた際は、その熱意行動理解示し激励文を送ったと言われる。 また酔いながらではあったが、花柳との仲を取りもってもらえないかと語っていた旨が、古川ロッパ日記描かれている。一方花柳も、戦後回想で「最愛亭主先立たれてしまった」と梅島の死を嘆き、「新派唯一の二枚目」と評した

※この「人物・芸風」の解説は、「梅島昇」の解説の一部です。
「人物・芸風」を含む「梅島昇」の記事については、「梅島昇」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「人物・芸風」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「人物・芸風」の関連用語


2
師風 デジタル大辞泉
96% |||||

3
瑞風 デジタル大辞泉
58% |||||




7
キャラが被る デジタル大辞泉
52% |||||

8
市川流 デジタル大辞泉
52% |||||

9
枠にはまる デジタル大辞泉
52% |||||

10
桂三木助 デジタル大辞泉
52% |||||

検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



人物・芸風のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの米沢唯 (改訂履歴)、Theかれー王 (改訂履歴)、もっぷん (改訂履歴)、ギフト☆矢野 (改訂履歴)、露の五郎兵衛 (改訂履歴)、中村又五郎 (2代目) (改訂履歴)、ムッシュ・ピエール (改訂履歴)、大門与作 (改訂履歴)、しんじ (改訂履歴)、尾上松助 (5代目) (改訂履歴)、清水けんじ (改訂履歴)、尾上松助 (4代目) (改訂履歴)、マリッジスターこうもと (改訂履歴)、馬王 (改訂履歴)、こじま観光 (改訂履歴)、ひのひかり智 (改訂履歴)、大森章督 (改訂履歴)、ヒロミ (改訂履歴)、鬼頭真也 (改訂履歴)、市川團十郎 (5代目) (改訂履歴)、守田勘彌 (11代目) (改訂履歴)、パーティ内山 (改訂履歴)、坂東三津五郎 (9代目) (改訂履歴)、中村鴈治郎 (初代) (改訂履歴)、梅島昇 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS