持ちネタ
持ちネタ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 03:07 UTC 版)
「桂春団治 (3代目)」の記事における「持ちネタ」の解説
円熟味を増してから演じていたもの 「いかけ屋」「祝いのし」「お玉牛」「親子茶屋」「子ほめ」「皿屋敷」「代書」「高尾」「月並丁稚」「野崎詣り」「寄合酒」 演じることが、減るか、演じなくなったネタ 「有馬小便」「色事根問」「宇治の柴船」「始末の極意」「寿限無」「平林」「豆屋」「明礬(みょうばん)丁稚」「蘭方医者」「風呂敷丁稚」 3代目は、その持ちネタの少なさで有名である。演じないものは出来ないのではなく、高座にかけられる物にならないから出さず、その結果として「完璧にやれる」ネタしか高座にかけなくなった。その代わり、演じるものについては高座にかけるたびに練り上げるというスタンスであった。ちなみに師匠の2代目春団治からは「風呂敷丁稚」のみ差し向いで稽古してもらい、「祝のし」は病床で筋のみ伝えてもらった、「子ほめ」「お玉牛」「野崎詣り」は2代目立花家花橘、「いかけ屋」「高尾」は4代目桂文団治、そして「代書」「皿屋敷」「親子茶屋」「色事根問」「始末の極意」は3代目米朝に稽古を付けてもらったとインタビューなどで答えている。春団治襲名が決まった後、米朝から酒席で「三代目春団治を継ぐのに十やそこいらのネタ数でどないすんねん!」と指摘されて口論となったが、翌日米朝の下宿に赴き「あれから帰っていろいろ考えてみたら、米朝君、君の言う通りやった」と頭を下げて稽古を付けるよう懇願し(米朝は最初前夜のことを忘れていたという)、米朝は「あんたの気持が嬉しいさかい、『代書』をやる。そやさかいやる限りは、わしはしばらくこのネタを演らんつもりや」と答えたという。 香川登志緒と米朝のインタビュー記事で3代目の話題になった時、「若い時期は遊んでばかりいて言いにくいがあまり稽古は熱心ではなかった」と米朝が発言したことに対し、香川は「自分もそう想い以前一緒に飲んだ折に思い切って『恥をしのんで聞くがいったい幾つ落語のネタが出来るか』との問に『親父や花橘師などの師匠連に稽古をつけてもらっていないネタは怖くて舞台では演じることは出来ないが70席は出来る』と答えて安心した」と答えている旨の記事が有る[要出典]。1980年前後(昭和50年代半ば)には、「三枚起請」を独演会で演じると報じられ、自宅で稽古を繰り返したとされるが出来に満足がいかず、高座にはかけなかった。
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