1980年前後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 09:40 UTC 版)
「日本におけるゲーム機戦争」の記事における「1980年前後」の解説
ソフト交換式の家庭用テレビゲームも当初は日本国外の技術が幅を利かせていた。アメリカで1977年に登場したアタリVCSは同じ年に日本で東洋物産など数社から約9万円程度で輸入販売されたが、高価な品であり、当時はまだキラータイトルも無かった。VCSは1979年にもエポック社から「カセットTVゲーム」として輸入販売されており、この時はエポック社の要請でインベーダーゲームが手配され、事実上キラータイトルの役割を担った。しかし本体価格は5万円前後まで値下げされたものの依然として高価な品だった。1977年にハードウエアを初めて日本国内メーカーが生産したビデオカセッティ・ロック(タカトク)や同じく1978年のTV JACK アドオン5000(バンダイ)が2万円を切る価格で登場しているが、肝心のゲームソフトはまだ輸入LSIだった。日本独自にハードとソフトが展開された例としては、1981年に発売されたエポック社のカセットビジョンが初と見られている。 カセットビジョンは12000円(ACアダプタ別売、後に同梱で13500円)という低価格を実現しながらも既存の人気ゲームを移植するなどして、当時のコンシューマーゲームハードとしては群を抜く普及を見せた。当時の日本は電子ゲームの全盛期であり、まだ家庭用テレビゲームがコンシューマーゲームの主役といえる状況ではなかったが、カセットビジョンの成功は日本でのソフト交換式の家庭用テレビゲームという文化の開拓に繋がり、他社もこれに続く形となった。1983年にはカセットビジョン並みの低価格帯の家庭用ゲームハードが各社から本格的に出揃うようになったが、少なくともその頃まではカセットビジョンが日本で一番売れていると言われていた。 その間、1982年にはバンダイがインテレビジョンを輸入販売したほか、ゲーム機というよりはパソコン(ゲームパソコン)のカテゴリではあるが関連機種としてトミーからぴゅう太が登場している。これらは5万円前後の高級機でありカセットビジョンの牙城を崩すことはできなかったが、3社とも翌年にこれらの後継機や廉価版に位置付けられるゲーム専用機を投入しており、1983年のゲーム機ラッシュに繋がった。 アタリVCS(Atari 2600) ビデオカセッティ・ロック TV JACKシリーズ カセットビジョン インテレビジョン ぴゅう太
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