1980年以前の修復作業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/19 14:46 UTC 版)
「システィーナ礼拝堂壁画修復」の記事における「1980年以前の修復作業」の解説
1547年ごろにイタリア人歴史学者パオロ・ジョヴィオが、硝酸カリウムとひび割れによって天井画が損傷しつつあるという記録を残している。建物上層からの水漏れに起因する硝酸カリウムは、顔料を白化させてしまうことがある。ローマ教皇庁の美術品修復部門の責任者で、1980年からの大修復の指揮を執ったジャンルイージ・コラルッチは、自身のエッセイ「ミケランジェロの色彩再発見」のなかで、過去に修復を手がけた人々が作品の透明感を保つために亜麻仁油ないしクルミ油を修復に用いたと記している。 1625年に「見習い金箔師」シモーネ・ラギが天井画の修復作業を行った。天井画の表面を麻布で拭き清めてパンで汚れをこそぎ落とし、しつこい汚れを落とすときには湿らせたパンを使うこともあった。ラギの報告書にはフレスコ画が「何の損傷もなく元通りの美しさを取り戻した」と記されている。コラルッチはラギが適切に画肌表面のワニス層を洗浄して、もとの色彩をよみがえらせたことは「まず間違いない」と評価しているが、ラギの報告書には「修復技法の肝心な点については何も書かれていない」としている。 1710年から1713年にかけて、イタリア人画家アニバーレ・マッツォーリ (en:Annibale Mazzuoli) とその息子が修復を手がけている。洗浄作業にはギリシア産のワインを浸み込ませた海綿を使用した。コラルッチはマッツォーリの修復作業について、汚れを落とすためには止むを得なかっただろうとしながらも、煤煙や汚れを以前の修復作業時に使用された油層に塗りこめてしまう結果となったと指摘している。またコラルッチのエッセイによれば、マッツォーリは明暗を際立たせる目的で天井画に多くの細かい加筆を行ない、硝酸カリウムの作用によって色彩が失われていた箇所にも、新たに顔料を塗りなおした。さらにコラルッチはマッツォーリが画肌表面に大量のワニスを塗布したと主張している。マッツォーリの修復作業は天井部分に集中しており、ルネット部分はほとんど放置されていた。 1935年から1938年にかけて、ヴァチカン美術館の修復研究部局による修復作業が行われた。このときの修復の主たる目的は、礼拝堂東端に描かれているフレスコ画の描画層 (en:intonaco) の強化と煤などの汚れの除去だった。
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