大学3年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/08 03:38 UTC 版)
4月の全日本選手権では準決勝で埼玉大学3年の天尾美貴に有効を取って優勢勝ちするが、決勝では72kg超級時代のライバルである二宮に0-3で判定負けして2位に終わった。二宮には実に11度目の対戦にして初めて敗れた。その後の体重別では、決勝で吉田から袖釣込腰で効果を取って、72kg級では体重別での初優勝を果たして世界選手権代表に選出された。 10月にパリで開催された世界選手権では、準決勝で地元フランスのエスサ・エソンブに横四方固で一本勝ちすると、決勝でも前回のチャンピオンであるルナから終了間際に大内刈で有効を取り、世界選手権で初優勝を果たした。 世界チャンピオンになって最初に出場した大会である11月の全国女子体重別では、決勝で旭川大高校3年の佐藤和枝を判定で破り優勝を飾った。続く福岡国際の決勝でも、パリ世界選手権決勝に続く対戦となったルナ相手に、大内刈をきめて一本勝ちで優勝を果たした。
※この「大学3年」の解説は、「阿武教子」の解説の一部です。
「大学3年」を含む「阿武教子」の記事については、「阿武教子」の概要を参照ください。
大学3年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 09:32 UTC 版)
※この「大学3年」の解説は、「有田隆平」の解説の一部です。
「大学3年」を含む「有田隆平」の記事については、「有田隆平」の概要を参照ください。
大学3年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 09:42 UTC 版)
5月のグランドスラム・カザンでは決勝でフランスのアストリード・ネトを合技で破るなどオール一本勝ちして優勝した。 6月には、オリンピックに向けて「絶対的な強さを手に入れることが、怪物と呼ばれるための第一歩。五輪では絶対的な強さで優勝したい」と語った。 7月に日本武道館で開催された東京オリンピックでは準決勝でイタリアのオデッテ・ジュフリーダをGSに入ってから技ありで破ると、決勝でもブシャールをGSに入ってから崩袈裟固(※舟久保固め)で破ってオリンピック初優勝を飾った。直後に兄も優勝したため、史上初のオリンピック兄妹同時優勝を果たした。なお、1992年のバルセロナオリンピックから女子柔道が正式種目に採用されて以来、唯一金メダルを獲得していなかったこの階級で金メダルを獲得する快挙ともなった。優勝後のインタビューで次のように語った。「小さな頃からの2人の夢。思い続ければ夢は実現するんだなって思った」「このような状況下ですが応援ありがとうございました。五輪を開催していただいたからこそ金メダルがある。これからもっと努力して、素晴らしい金メダリストになれるように頑張ります」。東京オリンピック混合団体では初戦のドイツ戦のみに出場するも、1階級上のテレーザ・シュトールに反則負けを喫したがチームは勝利した。しかし、その後チームは決勝でフランスに敗れて2位だった。12月には今年最も美しく輝いた人として、「@cosmeベストコスメアワード2021」のビューティーパーソンオブザイヤーを受賞した。 東京オリンピック 柔道 女子52kg級において金メダルを獲得した功績をたたえ、2021年12月15日、兵庫県神戸市のJR神戸駅中央口北側に記念のゴールドポスト(第28号)が設置された(ゴールドポストプロジェクト)。
※この「大学3年」の解説は、「阿部詩」の解説の一部です。
「大学3年」を含む「阿部詩」の記事については、「阿部詩」の概要を参照ください。
大学3年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 03:25 UTC 版)
3年の時には6月の優勝大会の準々決勝で日本大学と対戦すると、100kg超級の原沢久喜に技ありで敗れるなどしてチームは5位にとどまった。11月の講道館杯決勝で大学の1年後輩である土井健史に内股で一本勝ちして初優勝を飾った。12月のグランドスラム・東京では、決勝で綜合警備保障の中矢力に小外刈で技ありを取った後に大外刈で一本勝ちして、グランドスラム大会初優勝を飾った。
※この「大学3年」の解説は、「大野将平」の解説の一部です。
「大学3年」を含む「大野将平」の記事については、「大野将平」の概要を参照ください。
大学3年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 09:42 UTC 版)
3年の時には、4月の体重別はすでに世界選手権代表が内定していたために出場しなかった。大会後、世界選手権代表が正式に決まった。なお、妹の阿部詩も世界選手権52kg級代表に選ばれた。過去に兄弟での世界選手権同時出場はあったが、兄妹での同時出場は史上初となる。一方、野村忠宏が設立した「Nextend(ネクステンド)」とマネジメント契約を結んだ。大学在学時にマネジメント業務を委託した初めての柔道選手ともなった。 7月のグランプリ・ザグレブでは準々決勝でモンゴルのドフドン・アルタンスフに開始早々の肩車で敗れるも、その後敗者復活戦を勝ち上がって3位になった。なおこれにより、2015年10月のグランプリ・タシュケント初戦に勝利して以来続いてきた国際大会での連勝記録が34で止まった。また、2015年7月のGPウランバートル決勝でダワードルジに敗れて以来続いてきた対外国選手の連勝記録は29でストップした。 試合後には、「これが世界選手権じゃなくてよかった。まだまだ強くなる。世界選手権で最高のパフォーマンスができる」とコメントした。今大会では低い姿勢から繰り出される肩車や横落に反応しきれなかったために、その点の課題克服にも取り組むことになった。 9月にはJOCとシンボルアスリートの契約を結んだ。世界選手権では準々決勝でザンタラヤを合技、準決勝ではアン・バウルをGSに入ってから技ありでそれぞれ破った。決勝ではカザフスタンのエルラン・セリクジャノフを内股で破って2連覇を達成した。妹の詩も優勝したことから、史上初の兄妹同時優勝となった。 試合後のインタビューでは次のように語った。「自分は一本を取る柔道だが、状況に合わせて勝ち切れた。一つの成長だと思う。2連覇をすること以上に兄妹での優勝が目標だった。記録をつくれて良かった。妹が先に優勝し、より覚悟を持って決勝に臨めた」「東京五輪も同じ日に(試合が)あると思う。五輪できょうだい優勝したい思いが、より強くなった」。 一方、IJFの実況も務める元世界チャンピオンのニール・アダムスは、「間違いなく最高のテクニシャンであることを証明した。すべての柔道家が見習う手本だ」と阿部を称賛した。なお、今大会で兄妹優勝したことにより、52kg級の妹と同時に世界ランキング1位になった。 10月の体重別団体では準々決勝と準決勝で貴重な一本勝ちを収めてチームを決勝へ押し上げると、筑波大学戦では田川兼三と引き分けたものの、2勝2分の成績でチームの初優勝に貢献した。 11月のグランドスラム・大阪では準決勝まで全て一本勝ちするも、決勝では丸山にGSに入ってから巴投げで技ありを取られて2位に終わった。これにより、昨年に続く世界選手権代表内定はならなかった。なお、2年連続で世界ランキングの年間1位となり、1万ドルがIJFから授与された。 2019年2月のグランドスラム・パリを前に今年は負けなしでいきたいと語っていたが、その初戦で世界ジュニアチャンピオンであるイタリアのマヌエル・ロンバルドに肩車で技ありを2つ取られて一本負けを喫した。なお、ロンバルドはイタリア代表チームのゼネラルマネージャーである村上清が秘密兵器と考えていた選手だった。試合後には、「思っていた以上に相手が研究してきている。自分の技が全然かからない」「もう負けは許されない。もっと強くならないといけない」とコメントした。
※この「大学3年」の解説は、「阿部一二三」の解説の一部です。
「大学3年」を含む「阿部一二三」の記事については、「阿部一二三」の概要を参照ください。
- 大学3年のページへのリンク