四六時中
四六時中(しろくじちゅう)とは、一日の時間を全て含む表現である。文字通り、4×6=24から、一日二十四時間を示す。この表現は、休むことなく絶えず何かを行っている状況を指す際に用いられる。例えば、四六時中働く、四六時中監視するなどの形で使われる。また、インターネットの普及により、四六時中情報を得る、四六時中コミュニケーションを取るといった文脈で用いられることも増えている。
四六時中
読み方:しろくじちゅう
「常々」や「年がら年中」にも「いつも」「ずっと」という意味があるが、どちらかというと一日よりも長いイメージを持つ。「常々」は、「子どもには常々言い聞かせている」というように、その日一日だけではなく「普段からずっと」という意味合いがある。「年がら年中」は、一日よりもさらに期間が長く、「一年の間ずっと」という意味で使われる。「常々」や「年がら年中」はいずれも、時間単位や一日単位で使われるのではなく、長期で使われる語である。
四六時中とは、四六時中の意味
「四六時中」とは、「一日中ずっと」「日夜」「終日」「いつも」「常に」という意味の表現。もともとは「二六時中(にろくじちゅう)」といった。四六時中の語の由来・語源
江戸時代頃までの日本では、時刻は「12刻」で数えていた。「2×6=12」ということで「二六時」を「一日」「終日」の意味で使うようになったとされる。後に、時刻を24時間で数えるようになり、やはり「4×6=24」という脈絡で「二六時中」が「四六時中」になったと言われている。四六時中の語の使い方(用法)、例文
「四六時中」は、「いつも」や「一日中ずっと」の意味で、ほぼどのような文脈でも使える。ポジティブな意味でも、ネガティブな意味でも使える。基本的には副詞として用いられる。四六時中の類語と使い分け方
四六時中には、「終日」「日がな一日」「常々」「年がら年中」など多くの類語がある。「終日」や「日がな一日」は「一日中ずっと」という意味を持つが、一日の中の「朝から晩までずっと」というイメージである。例えば、「今日は終日読書をしていた」という日が二日間連続で続いたとする。この場合は二日連続ではあるが、一日ずつ完結していると考えた方がわかりやすいだろう。つまり、昨日も今日も「終日読書をしていた」としても、一日単位あるいは24時間単位で、その日の間中「ずっと」というニュアンスで使われる。「常々」や「年がら年中」にも「いつも」「ずっと」という意味があるが、どちらかというと一日よりも長いイメージを持つ。「常々」は、「子どもには常々言い聞かせている」というように、その日一日だけではなく「普段からずっと」という意味合いがある。「年がら年中」は、一日よりもさらに期間が長く、「一年の間ずっと」という意味で使われる。「常々」や「年がら年中」はいずれも、時間単位や一日単位で使われるのではなく、長期で使われる語である。
四六時中の英語
「一日中ずっと」や「いつも」という意味を持つ四六時中の英訳としては、「all the time」や「day and night」、「always」が適している。四六時中
読み方:しろくじちゅう
「年がら年中」は「一年中」「いつも」という意味。四六時中と同じ「いつも」という意味を持つが、四六時中が一日のなかでの「いつも」を指すのに対して年がら年中は一年のなかでの「いつも」を指している点で異なる。たとえば、「彼は四六時中スマホをいじっている」と書いた場合は、朝から晩までずっとスマホに触れているイメージとなるが、「彼は年がら年中遊びほうけている」と書くと、定職を持たずにずっと遊んでばかりいるような印象を与えることになる。
「明けても暮れても」も「常に」「いつも」という意味を持つが、とりわけ「日」単位で「毎日毎日いつも」と述べる意味合いのある表現といえる。「四六時中」は「時」を単位としており「(1日における)毎時間=いつも」というニュアンスがあるが、「明けても暮れても」の「明ける・暮れる」という動詞は「朝晩」もしくは「年」の語と共に用いられる語であり、「日」を単位として「年中いつも」と述べるニュアンスがあるといえる。
「時々(ときどき))」には、「きわめて頻度が低い」という意味がある。また「時折(ときおり)」や「時偶(ときたま)」にも同じく「きわめて頻度が低い」という意味があり、「時々」「時折」「時偶」はほぼ同じ状況で用いられる。「しばしば」には、「同じ行動や状態がよく繰り返される」という意味があり、「四六時中」よりも頻度は少なく「時々」よりは頻度は高い時に用いられる。
四六時中の意味
四六時中(しろくじちゅう)とは、「一日中ずっと」「いつも」という意味である。四六時中の由来
元々、昼を六時に、夜を六時に分けたことに由来する「二六時中(にろくじちゅう)」という言葉があった。この二六時中という言葉も24時間を表し、同じように「一日中ずっと」という意味を持っていた。「四六時中」はこの二六時中という言葉を、現代の24時間制にあてはめて成立した言葉であると考えられている。四六時中の用法と例文
四六時中は「いつも~ばかりしている」というニュアンスがあり、肯定的な意味でも否定的な意味でも用いることができる。四六時中の類語と使い分け
四六時中には「年がら年中」「明けても暮れても」などの類語がある。「年がら年中」は「一年中」「いつも」という意味。四六時中と同じ「いつも」という意味を持つが、四六時中が一日のなかでの「いつも」を指すのに対して年がら年中は一年のなかでの「いつも」を指している点で異なる。たとえば、「彼は四六時中スマホをいじっている」と書いた場合は、朝から晩までずっとスマホに触れているイメージとなるが、「彼は年がら年中遊びほうけている」と書くと、定職を持たずにずっと遊んでばかりいるような印象を与えることになる。
「明けても暮れても」も「常に」「いつも」という意味を持つが、とりわけ「日」単位で「毎日毎日いつも」と述べる意味合いのある表現といえる。「四六時中」は「時」を単位としており「(1日における)毎時間=いつも」というニュアンスがあるが、「明けても暮れても」の「明ける・暮れる」という動詞は「朝晩」もしくは「年」の語と共に用いられる語であり、「日」を単位として「年中いつも」と述べるニュアンスがあるといえる。
四六時中の対義語
四六時中には「時々(ときどき)」「時折(ときおり)「時偶(ときたま)」「しばしば」等の対義語がある。「時々(ときどき))」には、「きわめて頻度が低い」という意味がある。また「時折(ときおり)」や「時偶(ときたま)」にも同じく「きわめて頻度が低い」という意味があり、「時々」「時折」「時偶」はほぼ同じ状況で用いられる。「しばしば」には、「同じ行動や状態がよく繰り返される」という意味があり、「四六時中」よりも頻度は少なく「時々」よりは頻度は高い時に用いられる。
しろくじ‐ちゅう【四六時中】
四六時中
「四六時中」の例文・使い方・用例・文例
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