時雨の炬燵とは? わかりやすく解説

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時雨の炬燵

読み方:シグレノコタツ(shigurenokotatsu)

初演 明治39.4(東京・新富座)


心中天網島

(時雨の炬燵 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/26 05:06 UTC 版)

心中天網島』(しんじゅう てんの あみじま)は、近松門左衛門作の人形浄瑠璃1720年享保5年)12月6日、大坂竹本座で初演[1]。全三段の世話物




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時雨の炬燵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 00:45 UTC 版)

心中天網島」の記事における「時雨の炬燵」の解説

『時雨の炬燵』は実川延若家のお家芸とされ、治郎系の『河庄』よりも和事の色が濃い。二代目実川延若が得意とし「河内屋(延若のこと)はここで、ふっと瞳を宙に遊ばせ過ぎた日を懐かしむような表情をみせておられました。ちょっとしたことなのですが、妻子ありながら茶屋遊びにうつつをぬかしている中年男色気がこぼれるようで、実に風情ありました。……(治兵衛セリフ回しについて)技巧のいるところで、河内屋うまかった。どこが良かったというと台詞緩急です。[要出典]」と自身も得意とした十三代目仁左衛門述べている。 現行の歌舞伎演出では、五左衛門とおさんが去った後、小春治兵衛宅を訪れ丁稚三五郎祝言用意をする。尼となった娘の服から五左衛門の手紙が見つかり、小春身請け金子用意し、おさんと娘を尼寺にやり小春添い遂げさせようとする真意分かるその後小春強奪に来た太兵衛善六相討ちとなる件ののち、二人水盃をあげて心中に向かう。初代治郎は「おさんが尼になったいのう」と言って大声泣き落すやりかたとっていた。 後半部離縁決意した左衛門がおさんを無理やり実家に連れ帰る騒ぎで、炬燵寝ていた幼子勘太郎が「母様いのう」と起き場面があるが、勘太郎最初とこの場面とこの場面しか出番はなく、ずっと炬燵寝ている設定になっているため、子役寝てしまって起きてこないことがあり関係者をよく困らせる[要出典]。

※この「時雨の炬燵」の解説は、「心中天網島」の解説の一部です。
「時雨の炬燵」を含む「心中天網島」の記事については、「心中天網島」の概要を参照ください。

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