竹本濱太夫の代数について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 09:04 UTC 版)
「竹本濱太夫」の記事における「竹本濱太夫の代数について」の解説
『増補浄瑠璃大系図』では、二代目綱太夫の初名を竹本紋太夫とし、紋太夫から二代目竹本綱太夫を襲名したとするが、「音曲高名集」では「前名濱太夫 二代目竹本綱太夫 猪の熊甚兵衛と云」と記載があり、神津武男氏の論文「『時雨の炬燵』成立考 ―三代竹本綱太夫の添削活動について―」においても、「『増補浄瑠璃大系図』は、二代綱太夫の前名を「紋太夫」と記し、三代綱太夫の前名を「浜太夫」と記している。『増補浄瑠璃大系図』は二代綱太夫と三代綱太夫の前名に関する情報を、取り違えて記載したものと判断せざるを得ない。」と、指摘があることから、本項では、二代目竹本綱太夫の改名歴を初代竹本濱太夫から二代目竹本綱太夫とする。 同様に『増補浄瑠璃大系図』では、三代目綱太夫の初名を竹本濱太夫とし、濱太夫から三代目竹本綱太夫を襲名したとするが、神津武男氏が論文「『時雨の炬燵』成立考 ―三代竹本綱太夫の添削活動について―」において、指摘する通り、本項では、三代目竹本綱太夫の改名歴を、二代目竹本濱太夫 → 四代目竹本紋太夫 → 三代目竹本綱太夫 → 竹本三綱翁とする。 「『新改正 三ヶ津浄瑠璃・太夫方素人方・音曲座鋪角力 所付・実名付』に、(略)「太夫方」の「西」の前頭十四枚目の「同(京。筆者註)三条 浜側万吉」が、『増補浄瑠璃大系図』が三代綱太夫の住所地・本名と伝えるところの「三条橋東松の木町北側通称飴屋万吉」と一致するので、「浜側万吉」を、寛政七年当時「浜」太夫と名乗る、のちの三代綱太夫そのひとと推定する。右の推定を加えて、二代・三代の改名歴を示すと、 二代綱太夫 浜太夫→綱太夫 三代綱太夫 浜太夫→紋太夫→綱太夫→三綱翁 となる。 三代綱太夫が、師・二代綱太夫の前名を許されたのは、将来有望と見込まれたからこその命名であったと理解し得よう。そしてふたりの綱太夫がともに「浜太夫」を初名としていたからこそ、四代竹本長登太夫編著『増補浄瑠璃大系図』は錯覚して、前名を取り違えたと解釈できるように考える。」
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