米沢唯
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米沢 唯(よねざわ ゆい、1987年[1]3月31日 - )は、東京生まれ[2]・名古屋育ちのバレリーナ[注釈 1]。2010年秋から東京の新国立劇場バレエ団に所属する。現在の階級はプリンシパル[3]。
- ^ a b 吉田純子 「存在の深さ 踊りたい」 朝日新聞2011年3月9日夕刊
- ^ "Yui Yonezawa", Ballet San Jose, Oct. 2010
- ^ 「シーズン契約ダンサー」、新国立劇場バレエ団
- ^ a b 「竹内敏晴 略年譜」 (竹内敏晴 『レッスンする人』、pp.291-292)
- ^ a b 「ニュースな人に会いたい 米沢唯」 (『クララ』 2012年6月号 〔通巻第15巻第6号〕、新書館)、p.6
- ^ アンジェラ加瀬 「第31回ローザンヌ国際バレエコンクール」(『バレリーナへの道』 No.48、文園社、2003年5月、ISBN 4-89336-185-6、p.76)
- ^ Prix de Lausanne 2003, 1時間15分30秒~。なお米沢のクラシックVa.は10分56秒~で、フリーVa.は43分13秒~で見られる。
- ^ http://www.tokyo-np.co.jp/event/buyocon/result/61.html
- ^ 飯島岱 「第21回ヴァルナ国際バレエコンクール」 (『バレリーナへの道』 No.56、文園社、2004年11月、ISBN 4-89336-198-8、p.55)。米沢は非競技者のI・コルネーエフと組んで出場。なお、この年のジュニア男性第1位はダニール・シムキンだった。
- ^ Jennifer Dunning, "USA International Ballet Competition Awards Go to 13 Medalists From 8 Nations", The New York Times, 4 Jul. 2006
- ^ Press Release, 21 July 2006, Ballet San Jose
- ^ 関口紘一 「制作発表 『パゴダの王子』にビントレーがチャレンジ」、Dance Cube、2011年9月11日
- ^ 「2013/2014シーズン 新国立劇場バレエ団ダンサーの昇格についてのお知らせ」、新国立劇場、2013年6月30日
- ^ “令和元年度(第70回)芸術選奨文部科学大臣賞及び同新人賞の決定について”. 文化庁 (2020年3月4日). 2020年6月6日閲覧。
- ^ 竹内敏晴 『老いのイニシエーション』、1995年、岩波書店、ISBN 4-00-003817-6、p.172。竹内はこの本の中で米沢のことを「ゆり」という名前で書いている。
- ^ 「青少年のためのバレエ・コンクール ジュニアB部門 第1位 米沢唯」(『クララ』 1998年11月号 〔通巻第1巻第6号〕、新書館)、p.57
- ^ 阿部由美 「6th バレエコンペティション21」(『バレリーナへの道』 No.45、文園社、2002年11月、ISBN 4-89336-178-3、p.77)
- ^ D・ナハト版 『白鳥の湖』 で4人の王妃の一人を踊った米沢について、“自信に満ちたアラベスクへの伸びと清々しい回転…”、Rachel Howard, "Review: San Jose troupe excels in 'Swan Lake'", San Francisco Chronicle, 19 Feb 2008 。また、“米沢は癖のない伸びやかな踊りで、健康的な家族愛を表した。” 森本ゆふ 「新国立劇場バレエ団『パゴダの王子』」(ダンス・タイムズ 2011年11月13日)など。
- ^ 守山美花 「未来のエトワール 米沢唯」(Danza 第30号 2010年10・11月号、p.52)
- ^ Outdoors, alessiosilvestrin.com
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