銀座の柳とは? わかりやすく解説

銀座の柳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/14 01:26 UTC 版)

銀座の柳(ぎんざのやなぎ)は、1932年昭和7年)公開の五所平之助監督の松竹映画。また、四家文子の歌った同名の主題歌。




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銀座の柳

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銀座」の記事における「銀座の柳」の解説

銀座発祥の地、堺から移住してきた銀細工職人故郷懐かしんで移植したのが起源とされる。現在では、「中央区の木」にも指定されている。1874年日本初街路樹として、銀座通り植樹されたが、埋立地である銀座土地水分の多いことから根腐れ起こしてしまい、1877年湿地生育する植え替えられた。1921年には車道拡幅に伴い銀杏へと植え替えられ、残された木も1923年関東大震災壊滅したものの、銀座の柳に対す思い強く1929年発表され西條八十作詞の『東京行進曲』でも銀座の柳を懐かしむ歌詞登場する1932年震災復興事業として、銀座通り長野県安曇野産の朝日新聞社寄贈によって復活し同年4月には第1回柳まつり開催された。その後も、『東京ラプソディ』や『東京音頭』で歌われるなど、銀座のシンボルとして定着していった。 しかし、1968年銀座通り共同溝工事のために伐採され東京都日野市建設省街路樹苗圃移植された。そのもどんどん枯れていき、1984年には3本しか残っていなかった。それを知った地元商店主譲り受け挿し木行い自宅の庭などで育てたものを銀座をはじめ、全国各地植樹行った銀座復活させる運動続いており、現在では外堀通り銀座柳通り御門通り植えられている。また、外堀通りでは2006年から毎年5月5日に「銀座柳まつり」が開催されている。

※この「銀座の柳」の解説は、「銀座」の解説の一部です。
「銀座の柳」を含む「銀座」の記事については、「銀座」の概要を参照ください。

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