銀座の柳
銀座の柳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 18:17 UTC 版)
銀座発祥の地、堺から移住してきた銀細工職人が故郷を懐かしんで移植したのが起源とされる。現在では、「中央区の木」にも指定されている。1874年に日本初の街路樹として、桜・松・楓が銀座通りに植樹されたが、埋立地である銀座の土地が水分の多いことから根腐れを起こしてしまい、1877年に湿地に生育する柳に植え替えられた。1921年には車道の拡幅に伴い銀杏へと植え替えられ、残された木も1923年の関東大震災で壊滅したものの、銀座の柳に対する思いは強く、1929年に発表された西條八十作詞の『東京行進曲』でも銀座の柳を懐かしむ歌詞が登場する。1932年に震災復興事業として、銀座通りに長野県安曇野産の柳が朝日新聞社の寄贈によって復活し、同年4月には第1回柳まつりが開催された。その後も、『東京ラプソディ』や『東京音頭』で歌われるなど、柳は銀座のシンボルとして定着していった。 しかし、1968年に銀座通りの共同溝工事のために柳は伐採され、東京都日野市の建設省街路樹苗圃に移植された。その柳もどんどん枯れていき、1984年には3本しか残っていなかった。それを知った地元商店主が柳の枝を譲り受けて挿し木を行い、自宅の庭などで育てたものを銀座をはじめ、全国各地に植樹を行った。銀座に柳を復活させる運動は続いており、現在では外堀通りや銀座柳通り、御門通りに柳が植えられている。また、外堀通りでは2006年から毎年5月5日に「銀座柳まつり」が開催されている。
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