銀座への進出
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「おそめ」の改築にあたって、内装は伊藤の弟にあたる舞台美術家の伊藤熹朔が担当した。開店を知らせる挨拶状は歌人の吉井勇が準備した。おそめはオープンから連日、文士や映画人、財界人や政治家など多数の客が押し寄せ、立錐の余地も無いほどの盛況ぶりであった。 秀は土曜日に京都に帰り、火曜日に東京へ発つ生活を送るようになった。飛行機で伊丹と羽田を往復する秀は、雑誌や新聞に取り上げられるようになり、「飛行機マダム」や「空飛ぶマダム」として世間に知られるようになった。 1957年(昭和32年)、川口松太郎の短篇小説『夜の蝶』が、『中央公論文藝特集』5月号に掲載され、話題を呼んだ。小説の中で登場する「京都での酒場経営に成功し、銀座に店を開くことになったマダムおきく」は明らかに秀をモデルとしており、秀は一躍時の人となった。秀と川口松太郎の関係は、瀬戸内寂聴が小説『京まんだら』でほのめかしている。店は銀座8丁目へ移転され、さらに大きく改築がなされた。1960年(昭和35年)には京都の店も御池通へ移転し、「おそめ会館」として新装開店がなされた。 順風満帆かと思われた最中の1961年(昭和36年)11月28日に事件が起こる。「偽洋酒を店で使っていたという疑いで「おそめ」のバーテンダーが逮捕された」という見出しの記事が新聞に大きく取り上げられた。銀座の高級クラブの代名詞として、また、『夜の蝶』のモデルとして知られた「おそめ」が引き起こした事件として世間は大きな衝撃を受け、記者は連日銀座界隈へ取材に訪れていた。他店のマダムはここぞとばかりに秀を非難し、週刊誌はそれを面白おかしく脚色して記事にした。当時はどの店でも洋酒を闇ルートで仕入れており、偽造酒使用は他店でも考えられるため、ライバル店による密告も疑われるが、この事件をきっかけに「おそめ」人気は急速に衰退する。
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