車谷弘とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 車谷弘の意味・解説 

車谷弘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/19 08:36 UTC 版)

くるまたに ひろし
車谷 弘
生誕 (1906-08-28) 1906年8月28日
静岡県下田市
死没 (1978-04-16) 1978年4月16日(71歳没)
出身校東京薬学専門学校
職業編集者俳人実業家
栄誉芸術選奨文部大臣賞(1977年)

車谷 弘(くるまたに ひろし、1906年(明治39年)8月28日 - 1978年(昭和53年)4月16日)は、日本の編集者俳人実業家文藝春秋専務取締役を務めた。

人物・来歴

静岡県下田市出身。1929年(昭和4年)東京薬学専門学校(現・東京薬科大学)卒業[1]。翌年『サンデー毎日』の懸賞小説に入選。永井龍男と下宿を共にしていたこともある。

1931年(昭和6年)より文藝春秋社に勤め、戦後、菊池寛が同社を解散した際、佐佐木茂索鷲尾洋三らとともに文藝春秋新社を設立。『文藝春秋』、『オール讀物』の編集長、編集局長、出版局長を経て専務取締役となった[1]

小説を書くほか俳句をし、渡辺水巴久保田万太郎に師事。『侘助』『花野』と2冊の句集を出した。『銀座百点』の編集に携わり、向田邦子に連載を勧めた。その他、内田百閒の『ノラや』などの装丁を担当したこともある。出版部長時代に、石原慎太郎太陽の季節』の出版に強硬に反対したという逸話がある。

1977年(昭和52年)、『わが俳句交遊記』で芸術選奨文部大臣賞受賞。

著書

  • 『算盤の歌』明石書房、1942年。小説
  • 『草の葉日記』京屋出版社、1946年。小説
  • 『侘助 句集』牧羊社、1971年。
  • 『わが俳句交遊記』角川書店、1976年。
  • 『花野 句集』牧羊社、1976年。
  • 『銀座の柳』文藝春秋、1980年。中公文庫、1989年。

脚注

[脚注の使い方]



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「車谷弘」の関連用語

車谷弘のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



車谷弘のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの車谷弘 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS