祭文
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/24 13:31 UTC 版)
日本における祭文(さいもん)は、神を祭るときに読む文[1]。本来、祭りのときなどに神仏に対して祈願や祝詞(のりと)として用いられる願文であったが、のちに信仰を離れて芸能化していった。
注釈
- ^ お染久松の歌祭文には、他に「あぶらやおそめ久松心中(上)」、「おそめ久松思ひのたね油(下)」「お染久松恋の祭文」「お染久松めづくし」などがある。
- ^ 歌舞伎・浄瑠璃の演目『桜鍔恨鮫鞘』のもととなった古手屋八郎兵衛のお妻殺しの事件も、当初は歌祭文で歌われた作品(「お妻八郎兵衛」)であった。
- ^ 「野崎村」については、上方落語の演目として「野崎参り」があり、これは文楽などと同様、おそめが久松に会うための理由に用いた野崎の観音(大阪府大東市の福聚山慈眼寺)参りを描いている。
- ^ 「松坂」は、伊勢国松阪より発したという伝承をもつ北陸地方・東北地方に広く分布する祝唄で、土地により松坂節・荷方節(にがたぶし)・謙良節(けんりょうぶし)など、呼び名が異なる。
出典
- ^ a b c d e f g h 諏訪(1985)pp.230-231
- ^ a b c d e f g h i j k l m 山路(1988)pp.139-140
- ^ a b c d e f g 『民俗芸能辞典』(1981)p.193
- ^ a b c d e f g h 村山(1979)p.43
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 郡司(1953)pp.208-209
- ^ a b c d e f g h i j k l 五来(1995)pp.59-64
- ^ a b c d e f g 日本芸術文化振興会. “「文楽『新版歌祭文』」祭文とは”. 2014年5月8日閲覧。
- ^ a b c d e f 吉川(1990)pp.42-44
- ^ 日本放送協会. “NHK映像マップみちしる「祭文松坂 新潟県の民謡」”. 2014年5月8日閲覧。(動画)
- ^ a b c d e f 松島(1979)p.635
- ^ 南(1988)p.466
- ^ a b c 五来(1988)pp.484-485
- ^ 佐藤(2004)pp.118-119
- ^ 小沢(2004)
祭文
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詳細は「祭文」を参照 仏教に起源をもつ説経節に対し、祭文は神道に主たる起源を有し、本来は祭りのときなどに神祇に対して祈願や祝詞(のりと)として用いられる願文であったが、神仏習合の進行著しい中世にあっては山伏修験者に受け継がれることとなった。修験者による祭文はやがて仏教の声明の影響を強く受け、錫杖や法螺貝を伴奏として歌謡化し、さらに修験の旅にともない日本列島各地に広がった。山伏は神事祈祷に際し祭文をよみあげ、神おろしや神の恩寵を願ったのである。祭文はさらに巫女など下級宗教者や声聞師など門付芸人の手にもわたって、その勧進活動・芸能活動にともない各地に伝播し、地方の文芸や娯楽に寄与し、さらに農村の宗教行事と結びついて、悪霊退散の呪詞などとして定着した。 江戸時代に入ると、祭文は説経節同様に三味線などと結びついて歌謡化し、これを「歌祭文」もしくは「祭文節」と称した。歌祭文(祭文節)は、元禄以降、「八百屋お七恋路の歌祭文」「お染久松藪入心中祭文」などといった演目があらわれ、世俗の恋愛や心中事件、あるいは下世話なニュースなども取り入れ、一種のクドキ調に詠みこむようになった。歌祭文ではまた、余興として「町づくし」「橋づくし」などの物尽しも語った。 歌祭文に対し、錫杖と法螺貝のみを用いた「デロレン祭文」(貝祭文)は、同様に世俗的な演目を扱いながらも語りもの的要素の強い芸能であった。このような祭文の隆盛により、祭文語りを専業とする芸人もあらわれた。そのほか、下層民と結びついて余命を保った本流の門付祭文があった。
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