祭文殿(さいもんでん)
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「真清田神社」の記事における「祭文殿(さいもんでん)」の解説
渡殿前面に建てられている。桁行3間・梁間3間の広い1室で、切妻造平入、屋根は銅板葺。昭和31年(1956年)の再建。
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祭文殿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/24 14:45 UTC 版)
「河原神社 (清須市)」の記事における「祭文殿」の解説
1911年(明治44年)3月建立。円柱ヒノキ材で造られており、左右の幅5間2尺(987.4センチ)の中央8尺(242.4センチ)を開けた作り。奥行きは1間(182センチ)。
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祭文殿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/06 05:11 UTC 版)
神楽を演じる場が「神楽殿」であるのと同様、祭文語りの場が「祭文殿」であった。 本殿(後)、祭文殿(中)、拝殿(前)を回廊で繋いだ左右対称の建築様式が尾張造であり、尾張国(愛知県西部)地方特有の建築様式である。愛知県稲沢市の尾張大国霊神社、犬山市の大縣神社、一宮市の真清田神社、名古屋市の富部神社、清須市の河原神社のほか、愛知県瀬戸市の定光寺、豊田市の六所神社、岡山県岡山市の吉備津彦神社には「祭文殿」がある。なお、名古屋東照宮にもかつて祭文殿があったと伝える。
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