祭文音頭の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/23 02:03 UTC 版)
仏教の経典にフシをつけた声明を源流とし、山伏らによる民間布教手段として生まれたのが「祭文」である。近世に入り、祭文は一部で娯楽化し、次第に宗教色を薄めていって遊芸化した。 江戸時代、三味線と結びついて歌謡化した祭文を「歌祭文」と称する。これに対し、錫杖と法螺貝のみを用いたデロレン祭文は、世俗的な物語を採用しながらも語りもの的要素の強い芸能である。 歌祭文は、元禄(1688年-1704年)以降、「八百屋お七恋路の歌祭文」「お染久松藪入心中祭文」などといった演目があらわれ、世俗の恋愛や心中事件、あるいは下世話なニュースなども取り入れ、一種のクドキ調に詠みこむようになった。 クドキ調となった歌祭文が地方で盆踊歌に転じていったものが「祭文踊り」であり、「祭文音頭」である。地域によっては、近年まで「佐倉宗吾くどき」や「石童丸苅茅道心くどき」によって盆踊りが踊られていたところもあった。
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