祭日の変遷と祭礼の意味の変化
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「吉田の火祭」の記事における「祭日の変遷と祭礼の意味の変化」の解説
吉田の火祭は、起源こそ明らかではないものの、祭礼そのものを記した文献は1572年(元亀3年)の古吉田から上吉田への移転の際の屋敷割帳に、御旅所となる大玉屋(御師)の所に御幸道の記載がある。つまりその頃すでに、神輿による巡幸があったということが確認できる。また、松明を燃やす篝火については、1729年(享保14年)の篝火伐採訴訟の文書の中に、祭典で火を焚くことが恒例である旨の記述が確認できる。 今日では8月26、27両日に行われる吉田の火祭の例大祭日は、過去にいくつかの変遷があった。文献に残された記録を年代順に追ってみていくと、まず、1780年(安永9年)7月に富士登山を行った高山彦九郎は『富士山紀行』の中で7月21日の火祭に言及している。また、賀茂季鷹(京都上賀茂社家の歌人)は富士登山に訪れた際に火祭を見たが、その日時は1790年(寛政2年)7月21、22日の両日であったと『富士日記』に記している。1814年(文化11年)の『甲斐国志』の記述では、上吉田村の諏訪明神の例祭は、7月22日で「其夜此屋皆篝松を焼く」とあり、同時期に書かれた『菊田日記』(御師により書かれた記録)によれば、1804年(享和4年)から1834年(天保5年)までの火祭は7月21、22日に行われている。さらに、西念寺に伝わる1853年(嘉永6年)の『富士道場日記』でも同様の日時であり、元来の火祭の祭日は陰暦(旧暦)の7月21、22日であったことは間違いがない。 一方、富士信仰における開山(山開き)と閉山(山仕舞い)の日時については、1860年(万延元年)の『富士山道しるべ』において「当山は例年六月朔日をもつて山びらきといひ、七月廿七日をもつて山仕舞いといふ」とあるのが、山開き山仕舞いの日時を確認できる最も古いものである。1872年(明治5年)に陰暦から太陽暦へと暦法が改正されたが、明治時代を通じ火祭は陰暦7月21日、山仕舞いは陰暦7月26日として行われていた。ちなみに山梨日日新聞の記事に残されている祭事実施日はすべて新暦であるが、1885年(明治18年)は9月1日、1887年(明治20年)は9月8日、1908年(明治41年)は8月19日であり、これらはすべて陰暦の7月21日に当たる。しかし、このように陰暦を基準とした場合、実生活上の太陽暦(新暦)では8月中下旬から9月初旬と、祭日が毎年変動してしまうため、明治末期の頃から新暦での祭日に移行し固定化する動きが始まった。まず、1910年(明治43年)の火祭を陰暦7月21日の月遅れとして新暦の8月21、22日に移動して行われた。1912年(大正元年)の社司氏子総代の会議では、火祭を新暦9月9、10日としたが、議論が一致せず、翌1913年(大正2年)には火祭を新暦8月30、31日、山仕舞いを9月10日とした。ところが8月30日、31日は市町村等の計算日にあたるため、参詣者が少なくなることから、1914年(大正3年)5月の会議で火祭を再び陰暦7月21日に戻すことにした。しかし、その直後の会議で、火祭は新暦8月26、27日と決定された。このように二転三転したが、この時をもって吉田の火祭は現在の8月26、27日両日に固定された。新暦の8月26日は陰暦7月26日の山仕舞いの月遅れの日である。これにより火祭と山仕舞いの日は重なることとなり、火祭が山仕舞いの意味も併せ持つこととなっていった。山仕舞いとは、富士登拝者らの「山の神」に感謝する日である。こうして本来は諏訪神社の祭りであった火祭は浅間神社の祭りとして取り込まれ、同じ時期に火祭の起源も諏訪神社の竜神や建御名方神による説話から、浅間神社の木花開耶姫命が主体となる説話に改変されていったものと考えられている。 祭礼に関する図画として最も古いものは、1680年(延宝8年)に版行された「八葉九尊図」からはじまり、江戸後期から明治期にかけ複数の祭礼図が残されている。特に6色刷の版図である「富士北口鎮火大祭図」(富士山北口全図鎮火大祭)はよく知られている。正確な作成年代は不詳だが、図中右下に福地村の記載があることから、上吉田村が周囲の二か村と合併して福地村となった1875年(明治8年)以降に作成されたものである。 また、大正末年ころから「岳麓の奇祭」、「日本三奇祭の一つ」などと呼ばれるようになった。火を使う祭りは各地で見られるが、大抵は社寺の境内など特定の限られた場所で火を使うものが多かった。吉田の火祭のように町中で広い範囲にわたって焚くのは珍しく、夜間の暗闇が普通の感覚であった近代初頭までの人々にとって、まさに奇祭であった。
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