祭日の変遷と祭礼の意味の変化とは? わかりやすく解説

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祭日の変遷と祭礼の意味の変化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 01:37 UTC 版)

吉田の火祭」の記事における「祭日の変遷と祭礼の意味の変化」の解説

吉田の火祭は、起源こそ明らかではないものの、祭礼そのもの記した文献1572年元亀3年)の古吉田から上吉田への移転の際の屋敷割帳に、御旅所となる大玉屋(御師)の所に御幸道の記載がある。つまりその頃すでに、神輿による巡幸があったということ確認できるまた、松明を燃やす篝火については、1729年享保14年)の篝火伐採訴訟文書中に祭典で火を焚くことが恒例である旨の記述確認できる今日では8月2627両日行われる吉田の火祭例大祭日は、過去いくつかの変遷があった。文献残され記録年代順に追ってみていくと、まず、1780年安永9年7月富士登山行った高山彦九郎は『富士山紀行』の中で7月21日火祭言及している。また、賀茂季鷹京都上賀茂社家の歌人)は富士登山訪れた際に火祭見たが、その日時は1790年寛政2年7月2122日両日であったと『富士日記』に記している。1814年文化11年)の『甲斐国志』の記述では、上吉田村諏訪明神例祭は、7月22日で「其夜此屋皆篝松を焼く」とあり、同時期に書かれた『菊田日記』(御師により書かれ記録によれば1804年享和4年)から1834年天保5年)までの火祭7月2122日行われている。さらに、西念寺に伝わる1853年嘉永6年)の『富士道場日記』でも同様の日時であり、元来火祭祭日陰暦旧暦)の7月2122日であったことは間違いがない。 一方富士信仰における開山山開き)と閉山(山仕舞い)の日時については、1860年万延元年)の『富士山道しるべ』において「当山例年六月朔日をもつて山びらきといひ、七月廿七日をもつて山仕舞いといふ」とあるのが、山開き仕舞い日時確認できる最も古いものである1872年明治5年)に陰暦から太陽暦へと暦法改正されたが、明治時代通じ火祭陰暦7月21日、山仕舞い陰暦7月26日として行われていた。ちなみに山梨日日新聞記事残されている祭事実施日はすべて新暦であるが、1885年明治18年)は9月1日1887年明治20年)は9月8日1908年明治41年)は8月19日であり、これらはすべて陰暦7月21日に当たる。しかし、このように陰暦基準とした場合実生活上の太陽暦新暦)では8月中下旬から9月初旬と、祭日毎年変動してしまうため、明治末期の頃から新暦での祭日移行し固定化する動き始まった。まず、1910年明治43年)の火祭陰暦7月21日月遅れとして新暦8月2122日移動して行われた1912年大正元年)の社司氏子総代会議では、火祭新暦9月9、10日としたが、議論一致せず、翌1913年大正2年)には火祭新暦8月3031日、山仕舞い9月10日とした。ところが8月30日31日市町村等の計算日にあたるため、参詣者が少なくなることから、1914年大正3年5月会議火祭を再び陰暦7月21日に戻すことにした。しかし、その直後会議で、火祭新暦8月2627日決定された。このように二転三転したが、この時をもって吉田の火祭現在の8月2627日両日固定された。新暦8月26日陰暦7月26日の山仕舞い月遅れの日である。これにより火祭と山仕舞いの日は重なることとなり、火祭が山仕舞いの意味併せ持つこととなっていった。山仕舞いとは、富士登拝者らの「山の神」に感謝する日である。こうして本来は諏訪神社祭りであった火祭浅間神社祭りとして取り込まれ、同じ時期火祭起源諏訪神社竜神建御名方神による説話から、浅間神社木花開耶姫命主体となる説話改変されていったものと考えられている。 祭礼に関する図画として最も古いものは、1680年延宝8年)に版行された「八葉九尊図」からはじまり、江戸後期から明治期にかけ複数祭礼図が残されている。特に6色刷版図である「富士北口鎮火大祭図」(富士山北口全図鎮火大祭)はよく知られている。正確な作成年代不詳だが、図中右下に福地村記載があることから、上吉田村周囲の二か合併して福地村となった1875年明治8年以降作成されたものであるまた、大正末年ころから岳麓奇祭」、「日本三奇祭一つ」などと呼ばれるようになった。火を使う祭り各地見られるが、大抵は社寺境内など特定の限られた場所で火を使うものが多かった吉田の火祭のように町中で広い範囲わたって焚くのは珍しく夜間の暗闇が普通の感覚であった近代初頭までの人々にとって、まさに奇祭であった

※この「祭日の変遷と祭礼の意味の変化」の解説は、「吉田の火祭」の解説の一部です。
「祭日の変遷と祭礼の意味の変化」を含む「吉田の火祭」の記事については、「吉田の火祭」の概要を参照ください。

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