河原神社 (清須市)とは? わかりやすく解説

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河原神社 (清須市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/30 15:44 UTC 版)

河原神社

拝殿
所在地 愛知県清須市阿原宮東
位置 北緯35度12分45.63秒 東経136度51分27.35秒 / 北緯35.2126750度 東経136.8575972度 / 35.2126750; 136.8575972 (河原神社 (清須市))座標: 北緯35度12分45.63秒 東経136度51分27.35秒 / 北緯35.2126750度 東経136.8575972度 / 35.2126750; 136.8575972 (河原神社 (清須市))
主祭神 大己貴命
社格 郷社・八級社
創建 不明
本殿の様式 神明造
別名 星の宮
例祭 10月第2土曜日
地図
河原神社
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河原神社(かわらじんじゃ)は愛知県清須市にある神社

由緒

概要

創建年代は不明[1]。主祭神は大己貴命だが『本国帳』には従三位河原天神と記され[1]宝暦元年(1751年)に刊行された『張洲府志』には「河原神社は阿原村にあって今は星宮という」とあり[1]、『清洲誌』や『尾張名所図会』にも同様の記述があるという[1]。かつては「星野宮」と称し、拝殿の左右に湧き出していた「神眼池」の水は眼病にご利益があるとして参拝者が多くあったと伝わる[1]

「星大明神」の記述がある寛永17年(1640年)のものから明治以降のものを含めて、現在までに22枚の棟札が保存されており[2]、神社の歴史を示す資料となっている。

近代

1907年明治40年)郷社に列せられた[1]。戦後は十級社とされたが、1953年昭和28年)八級社となった[1]。現在では周辺は宅地化され、神眼池も水槽が残るのみとなっている。1994年平成6年)には近在の八幡社とともに奉賛会が結成され、2000年(平成12年)に修復工事が行なわれた。

建物

拝殿
正確な年代は不詳だが、江戸末期から明治にかけて建築されたと考えられている。妻飾りは南面に「鶴と亀」、北面に「月に兎」の浮き彫り、四隅の頭貫には獏と獅子の彫刻が施されている。1948年(昭和23年)に大改修が行なわれた記録あり[3]
本殿
一間社神明造檜皮葺で1949年(昭和24年)4月に再建された。6尺・5尺で、三方に2尺の縁が設けられている。組勾欄は円柱ヒノキ材仕上げ[3]
祭文殿
1911年(明治44年)3月建立。円柱ヒノキ材で造られており、左右の幅5間2尺(987.4センチ)の中央8尺(242.4センチ)を開けた作り。奥行きは1間(182センチ)[3]

ギャラリー

アクセス

脚注

  1. ^ a b c d e f g 愛知県神社名鑑、pp.227
  2. ^ 資料編1、pp.272 - 273
  3. ^ a b c 史料編、pp.200 - 202

参考文献

  • 『愛知県神社名鑑』、愛知県神社庁、1992年
  • 清須市新川町史編さん委員会『新川町史 資料編1 自然・文化・民俗』、清須市、2006年



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