算道
(算博士 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/05 10:05 UTC 版)
算道(さんどう)とは、日本律令制の大学寮において、算術を研究する学科。
- ^ 大学寮において学科が明確にされる(「算道」の呼称使用の開始)のは、平安時代の貞観年間とされている。それ以前は「算科」の呼称が用いられていたと考えられているが、本項目では「算道」で記述を統一させる。
- ^ 例えば、『続日本紀』養老5年正月甲戌(1月27日)条に「算術の名手」として表彰を受けた山口忌寸田主・志斐連三田次・私部首石村はいずれも9年後の天平2年3月辛亥(27日)条にて、弟子を取って七曜と頒暦について教えるように命じられている。特に山口は和銅2年に作成された2つの文書に「陰陽暦博士(弘福寺水陸田目録)」「陰陽寮暦博士(観世音寺大宝四年縁起)」という署名を残している。
- ^ 細井浩志「奈良時代における暦算教育制度」『日本歴史』677号、2004年10月
- ^ a b 大隅、2010年
- ^ 明法道(当初は明法科)は神亀5年(728年)に文章科(後の紀伝道)とともに発足した新興の学科である。
- ^ 五位の位階を持つ太政官の大史・少史。
- ^ 近江国栗太郡の出身で同氏最初の算博士とされる阿保今雄は、後に阿保朝臣の姓を授かった(『日本三代実録』貞観17年12月27日(876年1月27日)が、嫡流の阿保氏系は早く断絶して、事情により旧姓に復したとされる今雄の子・小槻当平(延長7年(929年)没、『宇治拾遺物語』122話にも登場する)の末裔が算博士を世襲した。
- ^ この三善氏は算道にも通じた文章博士三善清行の子孫とされるが、系譜上清行の曾孫とされる三善氏最初の算博士三善茂明は、貞元2年5月10日(977年5月30日)に錦宿禰から三善朝臣に改姓したと伝わる(『類聚符宣抄』)ため、本当に清行と茂明に血縁関係があるのかには疑問が存在する。
- ^ 南北朝期の北畠親房の著書『職原鈔』によれば、小槻氏は租税会計の計算、三善氏は学問的な算道を伝えたとされる。
- ^ 越中射水郡出身で三善氏の養子として算博士を継いだ三善為康は博識で伝えられたが、それは算道ではなくて紀伝道の分野であり、『朝野群載』・『掌中歴』・『拾遺往生伝』などの歴史・文芸書は多く現存するにもかかわらず、唯一の数学書の著作である『三元九紫書』が散逸してしまったという事実は、算道に対する当時の関心の低さを物語っている。
[続きの解説]
「算博士」の例文・使い方・用例・文例
- 算博士のページへのリンク