私部石村とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 私部石村の意味・解説 

私部石村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/05 01:23 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

私部 石村(きさいべ/きさきべ の いわむら)は、奈良時代官人算道家位階正八位下

出自

私部氏(私部首)は私部の統率者(地方伴造)氏族。

経歴

神亀年間(724年 - 729年)の暦算の名家とされている[1]

養老5年(721年元正天皇により、後進を勧め励ますべく、百官の中から学業を深く修め師範とするに足る者を選んで褒賞を与えたが、算術に優れたものとして、山口田主志斐三田次とともに10疋・絹糸10絇・麻布20端・20口を与えられた。

天平2年(730年)諸博士が高齢で年老いて衰えてきたことによる学業の断絶を恐れた太政官の奏上により、学業を後進に教授することが決められ、その際に、石村は田主・三田次とともに2人の弟子を取って七曜頒暦を学ばせるように命ぜられている[2]

官歴

続日本紀』による。

脚注

[ヘルプ]
  1. ^ 藤氏家伝』下巻
  2. ^ 『続日本紀』天平2年3月27日条

参考文献

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「私部石村」の関連用語

私部石村のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



私部石村のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの私部石村 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS